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【話し合い】「話し合い」を充実させるための思い切った方法とは。

ついつい話すと長くなってしまうJUNです。

これまで、「内向的」だとか「人見知り」だとか言ってきましたが、そのわりに話すことは好き。

その「好き」が、教師を続けているゆえんだと自負しています。

しかし、根底には「一人でゆっくり本を読んで過ごしたい」という欲求があるので、「会議」のような場は得意ではありません。

そんな会議嫌いの僕だからこそ感じていた思いが、ある本によって確証に変わりましたので、シェアさせていただきます。

▼「会議」の2パターン。

人間は、「苦手なもの」を必要以上に意識しすぎてしまうという特性があります。

「もう、いいや。考えないようにしよう!」と誓った瞬間から、「気になって仕方がない。」なんてことありますよね。

その対象が僕であれば「会議」とか「打ち合わせ」なのですが、不思議なことに、いやいや参加したのにもかかわず、終わった後に「あぁ、楽しかった。」なんて思ってしまうことがあるのです。
#なんて勝手な奴

その違いは、

「みんなで『決まったことを確認する会議』か、『アイデアを出し合う会議』かの違いである。」

ということに気づいたのです。

むろん、僕が好ましく思っていないのは、「決まったことを確認する会議」です。そして、「あぁ、楽しかった!」になるのは、「アイデアを出し合う会議」です。

僕が「社会人」を語るなんてのは、経験不足はなはだしいのですが、世の中には「体裁を整えるための会議」というものが存在する。らしい・・・。

もうちょっと踏み込むと、

「限りなく決定に近いんだけど、とりあえずみんなの周知をはかっておく。」

というたぐいのもの。

そして、このような会議のつまらなさは、「すでに決定されているという雰囲気を感じ取って、誰も何も言わず、ただたんたんと進んでいく。」というところにあります。

このまま書いていくと、ただの愚痴になってしまうので、ここから急展開をして「教育」へつなげましょう。

このようなつまらない会議からも分かるように、もしも、教師側が子どもに発言を求めるのであれば、

「自由に発想できる余白。」

を提供することが絶対不可欠です。

あまりにも決定事項が多すぎると、発言する側にも「もはやそれでいいんじゃない。」という決まった感があふれ、発言するモチベーションがわかなくなってしまいますからね。

▼「話し合い」に必要な人材とは。

過去記事で、「話し合いに必要なのは多様性だ!」という内容を書きました。
#記事は見つからなかったよ
#でもきっと書いた
#出てこい

もちろん、チームで取り組む活動でも同じことが言えます。やはり、チームの構成に「多様性」を意識することが、大きな成果をあげる道なのです。

しかし、注意すべきことも付け加えさせてください。

ここで言う、「多様性」というのは、

「単純に、『性別』とか『出身』とか『国籍』とかということではない。」

ということがポイントです。

「じゃあ、どんな多様性なのよ?」という疑問にお答えします。ずばり、

「『認知』の多様性が大事!」

なのです。

簡単に言うと「考え方の違い」と言えるでしょう。

そして、ここからがちょっと難しい。「考え方の違いが大切なのね。」と思っていても、

「同じ環境で生活している時間が長ければ長いほど、知らない間に『考え方』が似通っている。」

という落とし穴があるのです。
#賢い人がなぜ決断を誤るのか?

だからこそ、「話し合い」に、「いつもと違うメンバー」を招集したとしても、そのメンバーが、「どうも、長い間この会社で働いています。」という人だと、もしかしたら、「多様性」という枠を満たさないかもしれません。

だからこそ、「新参者」というか、別業界の専門家みたいな人を招集する思い切りが必要なのです。

そう、「学校」という組織が変化しないのも、教育界で活躍している教師陣でメンバー交代が行われているからかもしれません。

▼まとめ。

本記事では、「話し合いには、『認知的多様性』が大切だよ!」という内容をまとめました。

書いたものの、むずかしい面もあるなぁとは思っています。

しかし、1年の振り返りをする場面限定で、外部の人をお招きして、来年度の方針を練るという方法もよいかもしれません。

どっぷりとその業界に浸っている人では思いつかないような素晴らしいアイデアが生まれるかもしれません。


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