見出し画像

原初舞踏ワークショップ〈2023/5/21〉

ユリシーズさん企画の、原初舞踏ワークショップ2回目に参加しての感想を書き留めておく。

全体としての感想は、参加者のほとんどが前回も参加されていたためか、リラックスした雰囲気だったということだ。(これは私が2回目参加のために抱いた感想で、初めて参加された方はそうは感じなかったかも知れないが)

稽古の内容は、床稽古、スローで水を飲む稽古、腕だけで踊る稽古、の三つ。間に身体をつくる(整える?)動作が入った。

①床稽古...一回目でも行った稽古で、身体の動かし方としては基本前回と同じだが、「どのようなイメージを持ってやるか」という点では前回にはなかった説明があった。
右腕を挙げた時、「上から糸で吊るされているように」とか、床に横たわった時、「なまこ(ウミウシだったかもしれない)になったようなつもりで」とか。
具体的なイメージを示されたことは、動きやすくて助かった。
助かったのだけれども、最上さんの思惑通りの動きになったかどうかは定かではない。

「重力に捕まった状態、大地に沈み込む感覚、身体がゼロになった状態」と表現される、床に横たわった状態は多分出来ていたと思う。
ヨガの「屍のポーズ」に似ているのではないか。
週に一回オンラインで習っているヨガの先生の指導を思い出す。
「脚を大きく開いて、掌は上向きに、肩の力を抜いて、奥歯の嚙みしめを緩め、眼の奥の緊張も取りましょう」
初めてこのポーズをとった時、全身の力を抜いたつもりでも、無意識に緊張している部分ってあるんだな、と思った。私は顎と眼の奥の緊張が、先生に言われるまでとれていなかった。

寝ている状態から立ち上がるまで、「身体を動かせないけれども何とか動かそうと努力する、そのせめぎ合いを観察して下さい。」とのことだったが、前回同様、動かそうと思えば動かせそうだったため、せめぎ合いの観察は出来ず、「よっこいしょ」とならないように気を付けながらゆっくりと身体を起していった。
今思えば「動かそうと思えば動かせる」ということは、まだ身体がゼロになっていなかったのだ、と反省する。

自由に身体を動かしていいシーンでは、全く動く気になれず、じっとしていた。前回は伸びをしたり前屈したり、身体が揺れたりしたのだけど。

②スローの稽古...前回は視線がうまくぼやかせず苦労したが(ぼやかそうとすると物が二重に見えた)、自主練の結果、二重に見えても気にせず続ければいいんじゃないかという結論に達したので、稽古に集中出来た。
二重に見えるという時点では、まだ焦点が合っているんじゃないかとも思った。「二つ」と、数えられているから。

稽古の前に、最上さんから「さわる」と「ふれる」の違いについてのお話があり、それぞれの言葉を意識して茶碗と接した時に、身体に現れる感覚の違いの差に驚いた。
「さわる」はいつも茶碗を手に取る時の普通の感覚だが、「ふれる」は指先の感覚が敏感になったような感じと、指が茶碗にめり込むような感じがした。

③腕だけで踊る稽古...稽古前の準備として、立った状態で足の裏を感じ、身体を僅かに揺らした時、揺れと共に足の裏の感覚がどう変化するかを観察した。普段全く意識しない所なので、新鮮だった。

この稽古は、立って足を固定した状態で、腕だけを自由に動かすというもの。足の裏から木の根が張っているイメージを持ち、体幹が木の幹、腕から指先が枝になった感覚で自由に身体が動かせた。気持ち良かった。

稽古後のシェアタイムで、床稽古で起き上がるとき、螺旋のイメージが浮かんだとおっしゃっていた方がいて、なるほど、と思った。
そのイメージを持てば、少し楽に起き上がれそうな気がした。
そして、実際やってみたら確かに楽だった。
回転すると軸が立つ。独楽のように。軸が出来ると楽に立ち上がれるということか。
しかし、私はどうも床稽古に苦手意識を持ってしまう。
「身体がゼロになった状態=動きたくても動けない状態」には、なれる気がしないのだ。
この稽古は原初舞踏には欠かせないらしく、次回も必ずやるはずなので、少々気が重い。
努力はするが、(実はそれが逆効果?)なるようにしかならないので、場におまかせという感じ。

次回は最後のワークショップで、シェアタイムを長めにとってくださるということなので、質問や伝えたいことをしっかりまとめて臨みたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?