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原初舞踏ワークショップ〈2023/6/18〉

ユリシーズさん企画の、トータル3回にわたるワークショップが終了した。
秒でチケットが無くなるという人気のワークショップに、幸いにも3回とも参加することが出来て、感無量でした。
1回だけの参加もOKだが、3回通しての参加をお勧めしますということだったのでそうしたのだが、私にとっては大正解だった。
1回だけでは全くもってチンプンカンプンだったであろう。

床稽古とスローの稽古は毎回行ったので3回、歩行の稽古は2回行ったが、同じ名前の稽古でも、何を意識して動くかによって体感が変わることがわかって、面白かった。

今回の稽古の振り返り

① 床稽古・・立った状態から横になるまでの間、「崩れ落ちる」イメージで  行った。その動作を2~3回行った後、10分間横たわり、10分かけて起き上がった。今回も残念ながら動けない状態にはならなかったが、最小限の力で起き上がる技は身に付いたような気がする。
ポイントは「回転」「螺旋」「八の字」

② スローの稽古・・なんと、最上さん自らお手本として実演して下さった!
本来なら別料金が発生してもおかしくない、プロの舞踏家の踊りを惜しげもなく披露して下さったことに感動した。
見取り稽古で、参加者のスローの稽古を毎回見させて頂いたが(5人×3回)
最上さんの稽古は全く違うものだった。(当たり前と言えば当たり前だけど)
何が違うのかというと、最上さんが動いているのではなく、身体の内側から「ナニカ」が最上さんを動かしているように見えた。
前を向いて呼吸をしている時に身体が膨らんだように見えた。
茶碗を手に取ってからは、身体と茶碗が一体になったように見えた。
手から離れ床に置かれた茶碗は、妙に存在感があった。

最上さんを内側から動かしているように見えた「ナニカ」は、「内在世界=死の世界」のエネルギーなのだろうか?そして、そのエネルギーは最上さんを通して、茶碗にも影響を与えたということなのだろうか?

果たしてこの感じ方は正しいのだろうか?言い換えれば、最上さんが伝えたかったことなのだろうか?
もし少しは当たっていたとしても、それは彼女が伝えたかったことのほんの一部分でしかない。
最上さんは、以下のようにツイートしている。

「見ている人に伝わらなかったらあまりにも虚しい」と仰っていて、その通りだと思う反面、「内容を受け取る能力がない人(自分)も虚しさを感じているんです」と、訴えたかった。
受け取りたいのに受け取れない辛さ。
個人の能力や資質というものがあるので、仕方ないことだとは思いつつ…。
執着があるからかえって好くないのだろうか?
受け取れなくてすみません。受け取れた方が羨ましい。

参加者がスローの稽古に入る前に、「自分が茶碗を手に取る、と自分中心に考えるのではなく、茶碗に意識を置くように」と、説明された。
(これはヌーソロジーでいう「位置の交換」のことかもしれない)
意識は茶碗に置きながらも、茶碗を凝視するのではなく、空間全体をぼうっと眺める。
この稽古はワークショップで3回目だが、どのような意識を持って行うかの説明が毎回違っておもしろかった。しかし、共通する部分もあり、そこがキモなのだと理解した。視線をぼやかすということと、空間・茶碗が主役で、自分は退くということ。
回を重ねて、段々コツが掴めてきたように思う。

③ 歩行の稽古・・稽古前の説明で、「一歩踏み出す時に【我、ここに在り】と心の中で宣言して下さい。」「背中の後ろは無意識が渦巻いていると思って下さい。後ろは無限に拡がっていて、前に向かって歩くとは、道を切り拓いて何かに辿り着くということ。何を目標にしますか?」(この言い回しは正確ではないと思うが、私はこのように受け取った。)

何に向かって歩くのか…パッと思いついたのは「自分の後ろ姿」…なんてヌーソロジーっぽい!
【我、ここに在り】と宣言すると、足の裏に意識が向かい、足裏でしっかりと床を踏みしめて一歩一歩進んでいった。
後で不思議に思ったのは、他の稽古は自我を薄める方向を目指していたと思うのに、歩行の稽古は思い切り自我を主張していたではないか、ということだ。
原初舞踏の稽古は変性意識に入るのが目的で、そうなるには自我が薄い方が良いような気がしていたので、このような疑問が湧いてきた。

変性意識に入るとどうなるか。
視覚的には空間が歪んだり、霧のように解体したり、尺度が消えたり、遠近法が無効になったりするらしい。
聴覚的には遠くの音も近くで聴こえ、普段より多くの音が聴こえるにもかかわらず、全くうるさくなく静けさとして聴こえるらしい。
匂いがする人もいるらしい。

今回のワークショップでは、そのような体験はできなかったが、過去に「あれが変性意識だったのでは?」と、思えるような体験があった。
1つはヨガをしている時。「半分の鋤のポーズ」で両脚をゆっくり降ろしていく時、脚がどこまでも下に沈んでいくような感覚になり、軽い恐怖を味わった。
「月の呼吸法」をしている時、ミントの香りがした。
2つ目は、3点倒立をしている時。逆立ち中に鳥の声が聴こえてきて、「気持ちいいなぁ」と、思ったらその声は自分の身体の内側から鳴っていたので驚いた。
3つ目も逆立ち関連なのだが、逆立ちの動作を最初から最後までゆっくりと行った時、それを見ていた友人が、「周りの空気が変ったよ。逆立ち中どんな意識だったの?」と、聞いてきた。
私はちゃんと逆立ちが出来るように身体に集中していただけだった。(そうしながらも会話もしていたが。)
目は閉じていたので、空間の変化は見えなかった。
4つ目は、瞑想指導者のマントラをイヤホンで聴いていた時。その声というか音が、自分の頭の中心から発しているように感じ、気持ち悪さと怖さが襲ってきた。でも指導者を信頼していたので、これで良いのだと思えた。

こうして書き出してみると、鈍感力が強そうな私でも結構ニアミスはあった?

3回のワークショップを通して、本当に貴重な体験をさせて頂き、最上さんをはじめスタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
ユリシーズさんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。




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