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冒険の書(遊び+学び+仕事=?)

わたしはふとしたことから、冒険の書を手に入れた。ロックスターになりてえと言っているのに、勇者に転職しなければならない。ふとしたこと、というのは、わたしの図書館無限インプット術なので、自分で仕込んだものなのだけど。

たしか半年ほど前に予約していて、忘れたころに図書館から貸し出しの連絡がきた。いつものパターンだ。少し読んでみて、これは今あまり必要としていない話だと思った。主に学校教育についての本だったからだ。

しかし、忍耐の気持ちをもって読み進めると面白くなってきた。これも無限インプット術のよくあるパターン。テーマが今の関心のど真ん中にないからといって、作者が情熱をもって書いた作品が、面白くないわけがないのだ。むしろ、こうやって、自分の枠を無理にでも広げることが大事だと思う。

物語は、学校がなぜ面白くないのかという問いからはじまる。冒頭のほうで、学校の授業は必要ない、自分で学びたいことを学べばいい、という考えが提示される。わたしは、また起業家あるあるだよと冷めた気持ちになった。

こういう主張の本はよくある。だいたい、著者は起業家だ。その人がごく一握りの優秀な人間だから言えることで、一般の人間が同じことをすると破滅する。優秀な人間のまわりには優秀な人間が集まることもあり、通常の人間のことが見えなくなっているのではないかと思う。

子供を放っておいて、自主的に何かを学びだすだろうか。テレビを見て、ゲームをして、動画を見続けるのがオチだ。今でもだいたいはそう思っているが、考えが少し変わってきた。「そう……とも言い切れないかもしれない」。

風向きが変わってきたのが「基礎」の話。著者は、世の中では基礎が重視されているが、本当に基礎から学ぶことは必要だろうか、と問う。わたしは、また言ってるよ、基礎は重要に決まっていると、少々反発しながら読み進めた。

しかし、今では完全に著者の側にいる。基礎からはじめる必要はまったくない。なんであれ、そのゲーム(スポーツ、絵を描くなどいろいろ含む)に参加できる程度の能力があるのなら、とりあえず遊んでみればいい。本当に上手くなろうと思ったら、自主的に基礎を学ぶことになる。これはとても自然な流れだ。つまり「基礎」は初心者のためのものでなく、中級者・上級者になるためのものだ。

まあ、いずれ必要になる基礎なら身につけておいて損はないとも思うが、それでゲームが嫌いになってしまったら意味がない。わたしはゲームの対象年齢を間違えて小学校入学前の子供とポケモンカードをしていたが、彼はなんとなく足し算、引き算、掛け算をしていた。

これが「まず足し算を覚えないとこのゲームをさせない」とか言っていたら、どうなっていただろう。ゲームに参加することが先、基礎はあとの好例だ。

本来、「遊び」と「学び」は一体のものだった。もっと言えば、「遊び」と「学び」と「仕事」ももっと混然としていた。それが社会制度が発展するに従って(その時代時代の必然性があって)「遊び」と「学び」と「仕事」が徹底的に分離された。だから、

「学び」はつまらないものとなり、「仕事」はもっとつまらなくなり、「遊び」も他人から与えられて消費するだけのスカスカなものになった。


3つのどれにとってもいいことがない。

冒険の書によって示された今後の方針は明らかだ。
・自分のなかで「遊び」「学び」「仕事」をなるべく融合させる
・子供の教育にも役立てる

 遊びが先行しているように見えても、きっと学んでいる。

そういえば、趣味を突き詰めていくと、だんだん仕事に近づいていく感覚があるのは、三位一体のプロセスというか、とても自然なことだったのだな。

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