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編集者Xの献身

自分が敵だと思っていた人、モノ、事象。これさえなければ自分はもっと幸せだったのに。これはけっこう怪しい。

自分が敵だと思っていたものが、実は自分を破滅から守ってくれていたヒーローだった、あるいは、恐ろしい脅威から身を守ってくれる外壁だったという話はとても多い。

だいたいは気づかないまま一生を終えるけど、物語だと、敵を倒した瞬間にそのカラクリが明らかになる。今ぱっと思いついたのはNARUTO。読んだことのある人はぴんと来ると思う。

物語ほど劇的でなくても、人生の中にいくつもあると思う。わたしの話でいえば、ひとつは田舎の剣道道場。自分にとって、田舎はただのホラー映画の舞台だ。

そこにいないことがベストソリューションなのだが、巻き込まれてしまった舞台ならば、せめて生き残らなければならない。本当にホラー映画と一緒。なんとしても生き延びろ。話はそこからだ。

わたしは行きたくもない剣道道場に放り込まれ、悲惨な小学校時代を送っていた。地元の悪いやつらが集う場所で、毎日アザだらけ。楽しいことなど何もなかった。わたしは、何度やめたいと言っても、わたしを怒鳴りつけるだけだった親を憎んでいる。

今でもその話だけを切り取ると、剣道道場も親も憎い。しかし、気になるのは中学校以降だ。中学校以降も田舎は容赦がなかった。いっそう凶暴さを増したのだが、わたしは生き延びることができた。

それは小学校の剣道道場が影響している。剣道道場には地元の悪が集っていた。つまり、中学では幹部だ。わたしは幹部たちの知り合いだったがために暴力を逃れた。そこそこの最悪は、本当の最悪から守ってくれる壁でもあったのだ。

大人になってからの話としては、編集者Xの非道がある。わたしは、はじめて書いた小説で、某大手出版社から「ぜひ出版させてほしい」と連絡を受けた。出版社で打合せまでした。

ところが、編集者Xからの連絡がぱったり途絶えた。わたしに何の連絡もなく、出版の話は消え、代わりに業界人が受賞していた。

講評でわたしの作品を推す者はいなかったと書かれていた。完全に嘘だ。「審査員の多数が推した」と審査会の直後に編集者Y(たぶん、Xよりも少し年次の低い同僚)から告げられていた。だから「出版させてください」から打ち合わせの流れになったのだ。

わたしは編集者Xが許せなかった。こうして文章で書いてみると、今でも憎い。しかしだ! 仮にあのとき小説家デビューしていたなら、わたしは会社員を辞めていたと思う(ブラック企業勤務だったもんで)。

今だからわかるが、小説では稼げない。はっきり言って実力も不足していた。あのとき、稼ぎがほぼゼロの未来があったわけだ。

会社員を継続することを選んだ今の自分は投資術も習得し、金融資産を着実に伸ばした。2つの未来を比べると、生涯年収が1億円は違う。

つまり乱暴な言い方をするなら、編集者Xはわたしに1億円をくれたのだ。これを「編集者Xの献身」と呼ばすになんと呼べばいいのだろう。

自分を破滅から守ってくれているものは想像以上に多い。

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