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 先日『Eテレタイムマシーン』で『にこにこぷん』が再放送されると聞いた。普段夕方4時半にテレビをつけない私だが、その日は思わずテレビのリモコンに手を伸ばしていた。
 ジャジャマル・ピッコロ・ポロリである。丁度その世代なので懐かしかった。人生で最初に好きになったキャラクターはたぶんジャジャマルだったかもしれない。
 再放送で取り上げられていたエピソードはにこにこ島の夏祭りのお話だった。夏祭りで何を踊るかで喧嘩するジャジャマルとピッコロに、「それならにこにこ音頭にしようよ」と提案して場を収めたポロリはさすがだなあと思った。最後月を見ながら帰るシーンには心がほっこりした。
 その後もしんすけさんや裕子お姉さんやおさむお兄さんたちも出てきてこちらも懐かしかった。そういえばこんな歌もあったなあとか、『ぞうさんのあくび』ってこんな体操だったっけかなど、何となく覚えている物や、今では忘れかけているようなことがちょこちょこ思い出されたりしてそれもまたおもしろかった。
 そんな最中だった
「そうこれだ!」
 エンディングの『さよならマーチ』を聞いていて、ふとある出来事を思い出して思わず叫んでいた。

 そうあれは盲学校の幼稚部時代のことだった。当時の幼稚部の教室にはなぜかテレビがあった。朝9時(いや9時半だったかもしれない)になると、クラスのみんなで『お母さんと一緒』を見るのが朝の会の後の日課だった。
 その日もいつものように『さよならマーチ』が始まると、みんなで教室の中を行進していたのだが、その時の私は教室を歩くだけでは飽き足らなくなったようで、いきなり教室のドアを開けて廊下に飛び出していってしまったのだ。『さよならマーチ』を一人熱唱しながら。
 その時の担任だったo先生も、私の後を追って教室から出てきた。普通ならそこでいきなり教室から出ていった私を注意するなり連れ戻すなりしても良いはずだ。しかしo先生はそうではなかった。教室に戻るよう注意されるどころか、先生も一緒になって『さよならマーチ』を熱唱しながら歩いてくれたのだ。私が満足するまでの間、ただひたすらに。
 階段の前を通り過ぎて、昇降口を通過しても私たちのパレードは続いた。『さよならマーチ』を一頻り歌い終えると、こんどはその日の『お母さんと一緒』で流れていたカレーライスの歌を歌った。
 結局昇降口がある廊下の突き当りを右に曲がって、その突き当りにある校長室の前まで来たところでようやくUターンして教室に戻った。

 そういえばo先生とはこんなこともあった。
 ある日私は何を思ったのかo先生に言った。
「先生、お外で給食食べたい」
 これも普通なら「あなた何言ってるの」と否定されてもおかしくない話だ。しかしo先生は違った。
「お外のどこで食べたい?」
 o先生はさらりと聞いてきた。そんな中私の突拍子の無い希望はさらに続いた。
「アスレチックの上で食べたい」
 その頃の盲学校の遊具に、丸太でできたアスレチックがあった。なぜそんな場所で給食を食べたいと思ったのか、それは当時の自分にもよく分からない。
「そっかー、じゃあこんどアスレチックの上で給食食べようか」
 果たして後日本当にアスレチックの吊り橋の上で、パンと牛乳とおかずとスープをo先生と二人っきりで食べたのだった。

 今でもあの時o先生が私の突拍子な行動や言動を否定することなく、一緒に熱唱しながら満足するまで廊下を一緒に歩いてくれたり、アスレチックの吊り橋の上で給食を食べてくれたりしたことがとても嬉しかった。
 だが今になって思うと、それらの突飛な行動や言動は、もしかしたら発達障害からきている物だったのかもしれないとも思えてくるのだ。
 今週の後半、主治医の勧めで大学病院に発達障害の検査を受けに行ってくる。それまで適応障害と診断されていたメンタルの不調だが、ストレスの原因になっていた物から離れられてから数か月たっているにも関わらず、今だに憂鬱やいらいらなどの症状が抜けないので、これは適応障害の裏に何か別の病気や障碍が隠されているのではと思い、心療内科の主治医に相談してみたのだ。
 もちろんそこで出た結果を、働けないことへの逃げや言い訳に使うのではなく、もう1度社会に復帰するために、自分の特性をちゃんと知っておきたいと思ったから、今回思い切って検査を受けることにしたのだ。またその時のことは書けたら書きたいと思う。

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