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人のふり見て我がふり直せというけっれど

 朝から盲学校時代の友人のフェイスブックの投稿に不快な気持ちになった。
 友人はA型作業所に通っているのだが、そこのスタッフさんの言動がよほどむかついたのだろう。そのスタッフさんのことを「ババースタッフ」と書いていたのだ。
 私も全盲者がほとんどいないA型作業所という環境に身を置いていたことがあったので、視覚障害にあまり理解がないのであろうスタッフの言動にむかつく気持ちはとてもよく分かる。
 自分の感情をそのままSNSに吐き出さないとやってられないなんてことは私にもよくある。
 しかしだからといって「ババー」という言葉を使うのはさすがにまずいだろう。いくらその投稿が友人限定公開だったとはいえ、事情を知らない人が読んだらものすごく不快な気持ちになると思う。
 「気持ちは分かるけど、『ババー』っていう言葉遣いはさすがにまずいと思う。読む人によっては不快な気持ちになるから気をつけた方がいいよ」と指摘してやろうかとも思ったけれど、それはやめておいた。私も自分の投稿に対して指摘されるのはそれこそ不快だからだ。「自分のSNSぐらい好きに書かせてよ」と指摘コメントを入れてきた相手に対して反発したくなる。だから私から指摘コメントを読んだ友人だってとても嫌な気持ちになるだろう。それに指摘したことがきっかけでトラブルになるのもめんどくさいし。
 その人の投稿を読んで少しでも不快な気持ちになったなら見なければいいのだ。見なかったことにしておけばいいのだ。
 人のふり見て我がふり直せというけれど、ここnoteも含めて私もSNSでの言葉の使い方にはより一層気をつけなければと思った。

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