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 明け方4時過ぎにトイレに起きてから眠れなくなった。いわゆる中途覚醒というやつである。
 たぶんもう起きているであろうスカイプ仲間のMさんに、5時半頃通話してみた。オンラインでも人の存在を実感できれば眠れるかもしれないと思ったからだ。
 Mさんの部屋からはnhkラジオ第1が流れていた。それをIphone越しに聞いていると、ハナレグミの『深呼吸』が流れてきた。

 ♪夢見た未来ってどんなだっけな♪

 この歌い出しを聞く度に、私にはいつも思い出すことがある。
 それは1番最後に通った作業所でのことだった。

 その作業所では割り箸の袋詰めや、浜松では全国区になるほど有名な某お菓子の箱折りなどの仕事をしていた。
 それらの仕事はたぶんそれほどお金にはならないだろうし、苦手な人も多い単純作業だが、私はそのような仕事はとても好きだった。もともと物作りに携わる仕事がしたいと思っていたし、何より仕事中必要最小限のことしか喋らなくて良いのが、人と話すのが苦手な私には丁度良かったのだ。

 その作業所に入って1カ月立つか立たないかの頃だっただろうか。
 そこは1日中ラジオ(K-mix)が流れていた。
 その日もラジオをBGMに、割り箸の袋詰めの作業をしていた。すると当時リリースされたばかりのハナレグミの新曲『深呼吸』が流れてきた。

 ♪夢見た未来ってどんなだっけな♪

 そう歌う永積さんの声を聞いた瞬間、なぜだかどうしようもなく泣きたい衝動に襲われた。
 この曲に限らず、ハナレグミ、およびsuper butter dogの永積タカシさんの歌声は、良くも悪くも涙腺を刺激する声だと思う。
 その衝動に、とりあえずトイレに駆け込もうと思った。だが元薬局だった建物を改装した作業所にはトイレが一つしかなかった。しかもそんな時に限って、トイレにはすでに誰かが入っているようだった。
 仕方なく溢れ出そうになる涙をぐっと堪えた。その瞬間思った。
(仕事やめようかなあ)

 自分にとって1番の天職だと思っていた点字の触読校正の仕事をパワハラでやめてからの私は、それからも作業所を転々としていた。
 全盲の視覚障碍者だが、按摩マッサージなどの理料の免許も、一般起業で働けるほどのパソコンスキルも持っていない私が、毎月安定した収入を得るにはやはり作業所しか道はないのだろうと、20代の頃は特にそう思っていた。
 ちなみにこれから書くことはあくまで私個人の経験から思ったり感じたりしたことなので、一人の視覚障碍者の一つのケースとしてさらっと読んでいただければと思う。
 障碍者が働くための場所である作業所でも、全盲の視覚障碍者を受け入れているところはまだまだ少なく、働き続けるのが難しいのが現状だと思う。

 初めての転職先だった作業所では、主に資源回収や清掃作業をしていた。そのため肉体労働が多く、全盲でもできる仕事が無くなっていくのを感じ、さっさと見切りをつけて9か月でやめた(今思うとパワハラを受けた元職場以上にブラックだったし)。

 その次に行った作業所では、自動車部品の組み立てや箱詰めの仕事をした。仕事は良かったのだけれど、バスで片道2時間と通勤に時間とお金がかかった(作業所からは交通費が出なかった)。ラッシュ時の混雑した時間に毎日白杖を持って一人でバスに乗るのは、自分でも驚くほど神経をすり減らした。
 またスタッフの対応も少しづつ悪くなっていき、ついにはやめさせられる方向に持って行かれてしまった。そこは仕事量や生産製を重視するところだったので、視力がある他の障碍者の利用者さんたちと比べて、どうしても作業が遅くなってしまう全盲の私は会社の役に立たないとみなされたのだろう。そういうこともあって、仕方なく1年9か月でやめた。

 それから数か月の休職という名のひきこもりを経て、何とか見つかったのがその作業所だった。
 ちなみにそこもバスで片道1時間半かかったが、さきほども書いたように仕事は好きだった。しかしどうしても場に馴染めなかったのだ。

 そこは重度の知的障碍の方が多いところだった。言葉を交わすのが難しい利用者さんたちと、どうやってコミュニケーションを取ればいいのか分からなかった。仕事中感情や集中力をコントロールするのが難しい彼ら彼女らの雄たけびや行動に、何度もいたたまれない気分になった。
 そんな中でも話ができる、あるいは話せる利用者やスタッフは何人か居た。けれどその人たちの対応は、まるで全盲の私を腫れ物に触るかのような接し方をしてくるので、逆にこちらが気を使ってしまい、誰にも心を許せなかった。
 仕事の時はまだ良かったが、昼休みが憂鬱だった。一人になれるような場所も無くて、利用者さんたちとそれなりに話をしていても居心地が悪かった。
 ずっとこんなところに居て良いのだろうか。密にそう思っていた私の心に、永積さんのあの涙腺を刺激する声が深く刺さった。

 ♪夢見た未来ってどんなだっけな♪

 それでもまだ入ってから1カ月も立っていないのだ。もう少しがんばってみるか、とその時は思った。『深呼吸』の最後のフレーズ、♪後1歩だけ前に、もう1歩だけ前に♪のごとく。

 あれから約10か月。結局その作業所もやめてしまった。体は正直な物で無理が祟ったのか、持病の過敏性腸症候群が悪化して、仕事どころか外出その物にも不安を覚えるようになっていた。
 2か月の休養の後、そのままひっそりとやめた。以来作業所にはもう行っていない。

 そんなことを思い出していたら、いつしかまた眠りに落ちていた。
 次に目を覚ましたら午前9時前だった。Mさんとの通話もいつの間にか落ちていた。

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