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わたしは街のよるのはなびを知っている


いわゆる世間の人とくらべて恵まれてないことにおいて その恵まれてないほうが自分だと感じることが多い 
ないものねだりで自分だって恵まれていることはあるんだと思う ないものばかり見ているから あるものとないもので生きてきたから 
受け取り方次第って言われればそれまでだし、言い出し始めたら、比べ出したらきりがないって言われるようなこと それぞれの残酷の中でみんな生きているんだと勝手に思う 


ヘアドネーションやいらなくなった服を外国に送ることについて知った時、痛く思い知った、いつかの日
必ずしも持っていない側が悲しくて可哀想な訳じゃないし、反対に必ずしも持ってる側が恵まれてて幸せな訳じゃないこと

だから人に恵まれている・恵まれていないなどと押し付けてはいけない
だけど自分にそう思うことはやめたくてもやめれられない 生きていて痛みを感じている 

知らないで能天気に生きた方がもっと楽だったかも
知らないでいることができたなら何も知りたくなかったかも
なんて数年前の頑張れなくなった頃から思う
けどもう知らないでいることの方がこわい、知っていくことで自分をきらいにもなるけど、たぶん私は知っていくしかない 知らないでいることはできない これは自分のためだと思っている

でもなにかでみた、知ることは愛
でかすぎる、このことば

わたしがわたしとして生まれてきたことが苦しい
どうしようもないこと

でも目がいい人には見えない、ひかりを知っている 街のよるのはなびを知っている 重たい瞼を大きく目を見開いて丸いはなびをみる

生まれ持ったものと共に生きてきたから染みついた何かや思想、生きにくくても、わたしたち(わたしの中身のいろんなもの)にしかわからないなにか、はなびみたいな、美しいなにか、きっと何かあるんじゃないかってたまに思う、あってほしいなってたまに思う、
みつけたい

どっちかに生まれただけでと二分割しがち、されがち 生まれ持って染み付いてきたものはすぐには簡単には、完全には変えられないという絶望

ずっと一生分かり合えないだろうと思っていたことがある だから人に話したことはないこと

人にはその人の感情がきっとあるのに、生きやすそうでいいなって思っちゃったり、比べてばかり

でもきっと、そのことも含めて全部、ぜんぶ、
自分がこうしたいとか、こうみられたくない 
のに、その生まれつきのもので制限されたり判断されてしまう苦しさは、同じではないけどきっと似ている苦しさの種類なのかなって思えるようになった

それでもそれぞれの苦しさは続くけれど
なにか、自分を認められるような実感を手に入れることができたらきっといいよね

その関係性の中で分かり合えないことを受け止めることはできないかも知れないけど、認め合うことはできるのかな 認め合わなくてもいいかもしれないけど もっと何かを通して、知りたい 知らないことが多いから 異論は認める。寧ろ、求めている

そう思えない日もあるけど

(実際に今日はずっと今の自分の主体性のなさと判断力のなさに苦しめられ何もできなかった)

こう思えた日のことをここに残しておく

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