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家族のうつ、うつは遺伝する?

こんばんは、ハンサムです。

今日は家族について書きたいと思います。

うつ病との出会い

私がはじめてうつ病と出会ったのは、中学生の時でした。
家に帰ると、高い頻度で父がビリーズブートキャンプをしていました。

父は私が幼い頃から会社を経営していて、かなり変わった人でした。
非常に短気で、怒ると私の物を全部捨てたり、物を投げつけたりする人でした。

私も父に似て短気で負けず嫌いだったので、父と喧嘩するたびに家が壊れました。
私には姉がいるのですが、姉は短気ながらも優しい性格で、大喧嘩することもありましたが、手を出して怪我をさせるのは決まって私でした。
(姉の方がかなり体格が良いのですが、一度も大きな怪我をさせられたことはありません。根っこの部分が私とは違いました。)

姉を怪我させたり、ドアを壊したりするたびに
父からの遺伝を強く感じました。

そんな父が、中学生が家に帰る時間帯に
毎日家でビリーズブートキャンプをしていたのです。

そうです、父は精神的な疲労から、
会社に出社しなくなったのです。

我が家は、父の経営する会社で母も働いており、今思うと経営の才能は無い穏やかな母ですが、あの時はなんとか母と周りの人が、父の会社を回していたのでしょう。

父のことを
「横柄で乱暴、暴力的なのに
なんて心が弱いんだ」と思った記憶があります。

私とうつ病

父はその後も度々不安定になりつつも、会社の経営はそれなりに上手くいっていたようで、母は『別人、二面性がある』と父のことを評価していました。

父は私にたくさんの苦痛を与えましたが、
金銭的なところでは、かなり楽をさせてくれました。
高校も馬鹿すぎて私立しか通えませんでしたが、
良しとしてくれましたし、
大学も奨学金無しで通う事が出来ました。

それに、ずっと私はスポーツをしていましたが、そのスポーツのお金も出してくれました。
ただ、やるなら徹底的にやれ!というスタンスでしたので、足の骨を折った時も、年末年始も、光化学スモッグが出ている時も、年中無休でトレーニングに励んでいました。
(そのせいで今も骨が繋がってない)

非常に厳しく、度々私は人生が嫌になりましたが
『うつ病』になることはありませんでした。

父との類似性を感じていた私としては、
「なんで病めないんだ…病んだら休めるのに…」と思ってました。

はじめてのうつ?

そんな厳しく折り合いが悪い父と暮らしていたので、私は家で体調不良を訴えることがありませんでした。
体調不良を訴えても仕方ないからです。

盲腸になった時も、早く風呂入って寝ろと言われ、風呂に入ったら倒れて救急車で運ばれました。

そんなある日、高校の部活中にまた倒れました。
体力勝負の人生だったので大食いでしたが、
ラーメンとかつ丼定食を食べた直後に
倒れてしまいました。

これは昨日食べたラーメンとまぐろ丼

「さすがに食い過ぎたか…」と思ったんですが、精密検査をしたところ、実は生まれつき膵臓と胃と胆のうがくっついてることが分かりました。

運ばれた先の医者はもう手術が難しいと言って、いろんな病院に電話をかけていましたが、1晩経っても受け入れてくれる病院が見つからず
少し遠方の…とある大学病院がやっと受入先として翌日見つかり、3時間くらいかけて転院しました。

と、ここでうつ病になると思いきや、なりません。
長くなりそうなので割愛しますが、ここで私は運命とも言える超名医と出会い、超仲良くなったので楽しく治療を行うことが出来ました。

はじめてのうつ、本番

さて、私がはじめてのうつ病を発症したのは、大学生の時でした。

幼い頃から続けたスポーツを大学でも続けていたのですが、大学で私はしっかりいじめられました。
最初に呼び出された理由は「厳しい指導中に一人泣いていなかったから」だそうです。

多分、先輩方は私が泣くまでいじめ続けたかったんでしょうが、私は泣きませんでした。
(最長指導時間は4時間です。最後の2時間くらいは鳥の様子とかを観察していました。)

先輩方の顔を見るだけで汗が出るようになりましたが、ここでもうつになりませんでした。

でも、ついに私のうつがやってきます。

大学2年生の時にトイレを見ると、
便器が注ぎたての生ビールのように泡立っていました。
朝起きると水に溺れているような感覚で、何だか凄く息がしにくく、足がむくんで靴が履けない。

それでも合宿に参加したところ、合宿後本格的に息が吸えない。
そして目が腫れすぎて視界が悪い。目がほとんど開かない。
こりゃなんだ?と家の近くのクリニックに行ったところ「明日にでも死にますよ」と言われ、例の大学病院に連行。

超名医である担当医が駆け付け、すごく暗い顔をしている。
「これからもスポーツを続けてほしくて、丁寧に縫ったのに、なんでだろう、俺のせいなのかな、ごめんね」と言われ、死を覚悟。

と、思いきや、わりとすぐ治療の成果が出て、4日くらいで体全身の浮腫みが取れて、超元気になった。まさに奇跡。
ハンサム、丈夫すぎる…

でも、2週間後くらいに
夜全く眠れなくなった。
手も震えるし、汗もスゴイし、じっとしていられない。
何故かずっと涙が出てくる。

異常行動していたので、診察を受ける事になり、医師から
「ステロイド性うつだと思います。抗うつ剤と眠剤出しますね。」と。

ついに初めてのうつ。
病気の治療のために飲んでいたステロイド。
あれにやられてしまった。

でもこれは薬の副作用のせいなのか?
それとも病苦のうつなのか?
父は繰り返し良くなったり、悪くなったりしている。
私も今後そうなるのだろうか?

復活のハンサム

結論から言うと、ステロイド治療は1年で終わりましたが、うつ状態は2年くらい続きました。
集中力が続かないから映画が最後まで見れない。
電車で息が吸えなくなる。

大学卒業までなんやかんやで不安定なところは続きましたが、社会人になってからは、わりと元気です。
(スロットに出会ってから元気説もある)

げんのすけさまぁ

今は、同じように生きることが辛い人のためになる仕事をしています。
思うところは色々あるし、転職も考えていたけれど、私がうつ状態に戻らないのは、今の仕事のおかげかもしれません。

でも、そんな安定したハンサムですが、最近また父が不安定で大泣きしているといった話が母からありました。
私は父のせいで失ったものも大きく、家族旅行をしたり、父の日を祝ったりすることもありますが、父の性格と私の性格はぶつかり合ってしまうので、基本的には記念日以外、一切の連絡を取っていません。
(逆を言うと、父に与えてもらったものも多いので、記念日は盛大に祝います。)

父の気性と私の気性は非常に似ています。
ですが、私より更に父の方が、経営者という強いプレッシャーを感じているのかもしれません。
父は私に「女なんだからそんなに必死になって仕事しなくていいだろ」と言うので、もしかしたら「男は!経営者は!大変!」みたいな思い込みも強いのかもしれません。

私がプロポーズを断り、入籍しなかった理由の一つに『結婚したら自分の価値が下がるような気がした』という事があります。
これは、きっと父の影響を受けているのでしょう。

父のうつ病と私

上手く言語化出来ないのですが、私はずっと父と張り合っているような気がします。

父の遺伝を感じながらも、精神面では勝った…と思ってしまう気持ち。
父の現在の精神状態が心配な気持ち。
私のうつ病もまたどこかでひょっこり現れるのではという気持ち。
でもあくまでも私のうつ病は薬害で、本当は強いという気持ち。

父がうつ病になったせいで、自分もうつ病になるのではないか…という恐怖を感じてしまいます。
うつ病は遺伝しないとか、遺伝するとか、色々な研究がありますが
結局は広義の意味で「うつ病は感染する」と言えるかもしれません。

話があっちこっちに脱線しましたが、父の現在の精神状態を聞いて、私も何だかソワソワしてしまったので書いてみました。
結果、ブログとしては散らかっていますが、私の心はだいぶ整理が出来ました。

私は今、落ち着いて暮らせる環境にあります。
精神状態も、本当にかなり良くなりました。
短気でイライラしてぶちぎれることはありますが、うつ病で悲しくて死にたい…という気持ちになることはありません。

私と父を分けたものは、何だったのでしょうか。
上手く生きていける人と、上手く生きていけない人の違いは、何でしょうか。

自分を救えるのは自分しかいませんが、何故私は救われて
父は自分を救うことが出来ないのでしょうか。
いつか救われる日が来るんですかね・・・


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