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教育に哲学を。ハロウィンの後にはポッキープリッツの日が続きます。

教室で生徒と対話したいなあというテーマ。

①社会的に許されないことが学校で起こるのはなぜか?
②社会では許されることが学校で許されないのはなぜか?

罵声や怒号による指導など、社会で許されないことは、スポーツの現場でも学校でも許されないハズだ…が、頻繁に起こる。
世間には理不尽なことが沢山あるのは百も承知だが、理不尽は耐えるのではなく変えるものだ。
地域クラブへの移行の中で、パワハラや暴言などスポーツ現場での言葉の問題は浮き彫りになってくるだろうが、世間は現状をどう認識しているのだろう。案外、そんなもんだと思っているのだろうか。

逆に「社会では認められるが学校では一般的に認められていない」事象をどう扱うか。

もちろん地毛証明や下着の色などのブラック校則は論外で、そんな校則はどんどん改正されているだろうが…

たとえば、ハロウィンの日にお菓子をばらまいたらどうするか?ポッキープリッツの日が迫っているが、11月11日にお菓子を持ってきてみんなで食べていたらどうするか?
(反省文を書かせたり罰を与えたりで指導するのは簡単だが、本当に納得させるためにはどう伝えたらいい?そもそも納得解はある?)

学校に必要のないものを持ってきてはいけません、お菓子の持ち込みは禁じられています、なんて指導で納得する子どもは最初から持ってこない。禁じられているから禁止ですってのは意味がない。
お菓子の持ち込みに関しては、食堂ではアイスを販売しているのだから。
グリコだけじゃなくて、森永にも明治にもロッテにも配慮しろ!と言う?
カルビーと湖池屋はどうすんねん!細長いお菓子出してるんか!と言う?

お菓子メーカに踊らされるな!と言ったって、土用の丑の日に鰻を食べるのだって平賀源内の販促戦略だし、バレンタインも本家では別にチョコは関係ない。
新嘗祭はイベントにしないくせに!ってのはどうだろう?みんなで新米の塩むすびを食べて、お米を味わおうってのはいいような気がする。この日は祝日か。

教師は目をつぶっているから、目を開けたときには何事も無かったようにしておけよ、その代わり一線は越えるなってのが一昔前の教育だったの?教育学の本でこの話題読んだような…
同じような記事を過去に書いたような…
まあいいか。


僕はおやつを配るのに食べ物を投げるなとは強く思うが、お菓子を持ってきてちょいとシェアするくらいはいいじゃないかと思う。隣でお菓子を食べていても人は傷つかないし、そんな匂いもしない。なんなら3時間目の前くらいに羊羹を食べたら集中力が増すと思う。ゴミを散らかすのは嫌だが、きちんと片付ければいい。ただ、僕にはハロウィンはしっくりこない。もうオッサンだからなのか…


つまり、文化と主観の問題であって、合意形成できていれば良いレベルのことではないか、という気がする。
もちろん後片付けができない生徒がいるのも事実だし、悪ノリするやつもいるだろう。お菓子の購入にしたって、生徒指導上のトラブルに繋がりかねないのも分かる。
だが、数年前にはまず見られなかった授業中に飲み物を飲む光景も、今はマスク生活の影響で普通になった。授業中に水分補給をして、全国でトラブルは起こっただろうか。

話はあっちこっちに行きましたが…みなさんならどうやって中高生に話しますか?どんな風に話していますか?

工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力』

「己所不欲、勿施於人」って自分と他人の主観のズレはどうやって埋めたらいいの。それを考えるのが民主主義で、それを教えるのが学校なんだなと。工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力』を読む。学校にももっと目的思考を。



タイトルに使った画像はグラウンドから東の空に見えた、美しい虹。練習の途中に、めっちゃキレイな虹が出てる!って言い合う仲間がいるって素晴らしい。
明日はきっと良い日になる。


安井直人

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