見出し画像

「あわくら温泉 元湯」は(株)sonrakuから事業譲渡を受け(株)motoyuが運営します

皆さんお久しぶりです、半田守です。
noteでは随分とご無沙汰してしまってますね。

今年の10月29日、私が3年間過ごした岡山県西粟倉村で株式会社motoyuを設立いたしました。(株)motoyuでは、私が地域おこし協力隊として活動に参画していた(株)sonrakuから「あわくら温泉元湯」と「木質バイオマス事業」を譲渡される形で1月1日より両事業を運営していくことになります。結成メンバーは3人全員が元sonrakuの西粟倉在住メンバーです。村議会の都合上ぎりぎりまでご報告できず申し訳ございません。

画像4

今回のnoteはご挨拶の意味を込めて書くつもりですが、どういった文章が皆さんにとってわかりやすく、そして伝えたいことを届けられるかを考えた時、包み隠さず私の言葉を綴っていくのが一番いいという結論に至りました。なので読みづらかったり、一部分で不快に思われる方がいらっしゃるかもしれませんがその点予めお詫びしておきます。

激動の2020年

画像6

世界中の誰にとっても2020年は激動の年だったと思います。1月16日、新型コロナウイルスがはじめて日本に上陸してからあっという間に感染拡大して、2月末には小中学校の臨時休校、それから東京オリンピックの延期が決定されたりと全ての計画が脱線してしまった春。4月には政府が緊急事態宣言を発令し、日本国内の経済活動に大きな打撃を与えました。

あわくら温泉元湯も例外ではなくその影響をもろに受け、4月から6月にかけて休業を余儀なくされる事態となりました。その間は店長の奥村さなえを筆頭にテイクアウトメニューの開発やECショップの立ち上げ等できる限りの工夫を凝らして、苦しいながらもなんとか廃業を免れることができました。

私はsonrakuの木質バイオマスエネルギー部門を担当しておりましたが、熱供給先の温浴施設が相次いで休業したことにより、元湯同様苦しい状況でした。木質バイオマス事業に参画して3年目、やっと採算ベースに乗ってくるというタイミングでコロナショックが到来し、目標が遠のいてしまったことがとてつもなく悔しかったです。しかし、当時の私には事業を立て直そうというハングリーなエネルギーが残っていませんでした。

その頃の私は、経営陣が現地にいない状況で遠隔によって指示を出される環境にやりづらさを感じていた時期。加えて、他の部門(コンサルティング)の関わりもあり工場に出勤できる日も限られている中で先輩スタッフ(地元の作業員)から「もっと現場に出れんのか」と叱咤される日々に嫌気がさしていました。収支改善に向けて計画的に実行すべきことも先輩スタッフにはなかなか受け入れてもらえず、会社の中で自分の存在意義を見失っていました。来年も同じ環境で働くのはもうゴメンだなって。

画像3

お分かりの通り随分と他責思考な状態でした。人生ではじめてと言っていいくらいに。6月あたりからは、自分もsonrakuの一員であるのにこの苦しい状況をどこか他人事のように感じていました。元湯にはよく通っていましたが、特に手伝うでもなく、宣伝するでもなく。当時は愚痴も多かったと思います。

30歳という一番脂の乗った時期にこんな状態を続けていてはダメだと本能的に感じたので、sonraku代表の井筒耕平さんに会社を離れたいという旨をお伝えしたのが今年の9月。大変身勝手な決断であったことは言うまでもありません。

それを受けて、井筒さんが私にしてくださった提案が「西粟倉村の元湯とバイオマス事業を半田くんが経営してみないか」というものでした。

全く想定をしていなかった提案だったし、咀嚼するまでに随分時間がかかりました。なぜ井筒さんがそのような提案をされたかというと、常々私が経営者としてキャリアを積みたいと言っていたからだと思います。それに対して「挑戦する場を提供してくれた」というように解釈しています。

話が浮上した時点ではsonrakuグループとして新会社を設立する前提でしたが、「やるなら自分がリスクをとって全力を出せる環境で挑戦したい」という、これまた身勝手な考えがありました。それは雇われ社長では現状が何も変わらないと直感的に察したからです。井筒さんはそれをも汲み取ってくださり、改めてsonrakuから新会社(後のmotoyu)に事業譲渡するという提案をしてくださいました。

その後に真っ先に相談したのが元湯店長の奥村さなえです。正直、彼女がいてくれなければ元湯の復活は厳しいと思っていたので、すぐに連絡をして相談しました。そして彼女から「大丈夫ですよ」という言葉を聞いた時事業譲渡を受ける覚悟が決まりました。

大きな流れとして上記に示したことが株式会社motoyuを設立した経緯になります。要するに、私の身勝手に始まり、それをまわりがサポートしてくれたということです。

あわくら温泉元湯と木質バイオマス事業を自身で経営していくことが決まってからは目の色を変えて働いている自分がいました。急に社有車を掃除しだしたり、元湯の宣伝をし出したり。宴会場のスリッパを揃えてみたり。こんなに滑稽な人間は私以外に見たことがありません(苦笑)。sonrakuの経営陣はそれも全部分かっていながら事業の継続を一番に考えて「譲渡」という決断をされたのだとしばらくたって気がつきました。


一人では決断できなかった

もちろん、まだまだ新型コロナウイルスの感染は拡大するだろうし、飲食・宿泊業は厳しい状況には変わりありません。しかし、絶対に最高の店がつくれるという確信が私にはあります。それはまず、結成メンバーの2人が最高すぎるということ。

画像6

9月に香川県の豊島から元湯にやってきた島さんは、はじめは物静かな子だなと思って見ていましたが、話してみるとこれがめちゃくちゃ面白い。この人、理屈がわかってないと行動できないんです。逆にいうと知的探究心が桁外れに高い!誰も探求しようと思わなかった塩素機の調子を観察して機械のクセを把握することが一時期の楽しみだったとか。元湯のお風呂の泉質を保てているのは島さんのおかげなんです。それは前置きとして..... 島さんの最も素晴らしいところは、一期一会のお客様に心からの愛おしさを持って接しているところ。もう島さんとお話した方は気づいていると思いますが、いたわりの一言二言をさりげなく繰り出してくる達人です。これは、今後の元湯運営において一番大切な要素だと思っています。

さなえさんに関しては、元湯のファンのほとんどがさなえさんのファンであると思っていいくらい、人を強烈に惹きつけるものを持っています。何より他のスタッフから好かれていますよね。先日元湯の元インターン生が「私はさなえさんのファンなんです」って言っていたのがその証拠。motoyuにとって代わりが効かない人材です。そして誰よりも元湯のことを知り尽くしていて責任感がある。とても頼もしい存在です。

もちろん会社は移り変わるもので2人といつまでも一緒に働けるとは限りません。これから意見の衝突もあると思います。それでも、創業メンバーとしてさなえさんと島さんがいてくれたことが私にとって何よりの自信になったのは紛れもない事実です。

それから、あわくら温泉元湯の常連さんやご近所さんには、最高に面白い人たちがたくさんいるということ。宮大工の棟梁や、猟師、DIYユーチューバー、世界の紙を食べ歩く人、世界一イケてる田舎のデザインナー、ヒノキでビールつくっちゃう人...(キリがない)。もやは最近はそんな皆さんのことをコンテンツと言っています(笑)。冗談抜きで西粟倉村の一番の観光資源は「村人」。そんな方々と西粟倉に興味を持って訪れる旅人が自然に出会える空間を演出していきたいです。


人との繋がりが希薄になったコロナ時代だからこそ、オフラインで人生を揺るがすような出会いが生まれる場をつくっていきたいです。

今までの元湯は、身体が温まるほっこりファミリー温泉宿。これからの元湯は人(木)と人(木)が繋がって焚き火が燃え広がっていくような場をイメージして書いています。


これからの元湯のこと

1月から営業していくにあたってまず取り組むことは、地域の皆さんにこれまで以上に元湯に足を運んでもらう施策をすることです。従来は宿泊業としてどちらかというと村外に重点を置いていましたが、地域の皆さんに「こんなに楽しい場所があるよー!」ということをもっと伝えていきたいです。薪だったらいくらでもありますから、焚き火したり、テントサウナしたり、薪ストーブでソーセージ焼いたり。ちょっとした音楽フェスをやってみたり。

コロナ禍でお客さんを入れないと廃業せざるを得ない環境下では自分たちが仕事を楽しめなくなっていました。まだまだコロナの収束は皆目検討が付きませんが、まずは自分たちが仕事を楽しみながらこの村で暮らしたい。自分たちが楽しんでいたら地域の皆さんも村外のお客さんも足を運んでくれると信じています。


もっとシンプルに言えば、地域の方にとって気軽にご飯やお酒を飲んでもらえる場所にしたいです。そうそう、元湯の唐揚げって本当に美味しいんですよ。唐揚げのような単品メニューを充実させていって、お酒と食事と会話が弾む場所をつくっていきます。そうでなければ、素敵な出会いが生まれるオフラインコミュニティはつくれませんよね。まず地域の皆さんにとことん向き合うことは絶対です。


それから村外のお客様に向けて、山村でしか体験できないイベントをバンバン企画していきます。先日開催した狩猟体験では、罠の設置から捕獲、止め刺しから解体まで狩猟を丸っと体験していただきました。都会で生活していたら、自分が食べるお肉を山の中で捕獲して自分で捌くなんてこと絶対に体験できないですよね。

以下は狩猟体験の参加者が書いてくださったレポートですが、写真だけ見ても非日常であることが伝わると思います。

画像5

狩猟以外にも、都会では経験できない魅力的な非日常が山村にはたくさん眠っています。私たちはそんなことを一つずつ丁寧にブラッシュアップしてオフラインイベントを開催していきます。


おわりに

今回、株式会社motoyuを立ち上げるにあたって金融機関から1000万円以上の借入をしました。このご時世に飲食・宿泊業をはじめることに迷いがなかったわけがありません。真剣に考え抜いた末の決断です。先にも述べましたが、関わってくれる多くの方々の存在が私の背中をグッと押してくれました。「自分勝手な奴がオーナーになった」と思もう方も少なくないはず。だからこそ自分にとっても、メンバーにとっても、sonrakuにとっても、地域にとっても、「アイツのあの時の決断は素晴らしかった」と言っていただけるように一生懸命頑張るしかないのです。

今からの取り組み次第で過去は良くも悪くも変えられると信じて。

何より、自分が西粟倉村で暮らしているからこそ、元湯という場所をもっとよくしていきたいし、消滅させたくはないです。


ビックニュース!

なんと、西粟倉村の新しい名物・ヒノキビールの醸造場を元湯内に建設することが決定しました!!!

チーズ観光協会さんが企画・販売しているヒノキビールは、薪工場でつくっているヒノキチップからヒノキの香りを抽出してつくっているのですが、現状ビール醸造は他県のブリュワリーにOEM委託しています。醸造の工程を西粟倉でやれないかと模索していたチーズ観光協会さんが建設場所に元湯を選んでくださいました。

画像1

こんなに嬉しいことはない!こんなに楽しみなことはない!!

建設は来年の10月あたりを予定しています。ヒノキビールの一番搾りを楽しみにしてくれる人が一人でも多く生まれるように、様々な企画を用意していきます。

私の敬愛する人たちが焚き火を囲みながら鳥の唐揚げを肴にヒノキビールを飲む景色が見たい。

そんな日常が来る日を楽しみに。

これからの元湯で、たくさんの出会いがあって、たくさんの人が元気になって、たくさんのプロジェクトが生まれて。今日も薪ストーブに火をつけながらそんなことを妄想してます。

長文、最後までお付き合いいただきありがとうございました。これからのあわくら温泉元湯と株式会社motoyuをどうぞよろしくお願いいたします。

2021年が皆さんにとって最高の年になりますように。


半田 守|株式会社motoyu代表取締役|合同会社MAMO代表社員|岡山県北・西粟倉村で日帰り温泉&ゲストハウス「あわくら温泉 元湯」を運営。またレスリング経験を生かした専門ブランド「MAMO」を企画し業界No.1を目指す。薪づくりからモノづくり、場づくりまでやる田舎資本主義の挑戦者

あわくら温泉元湯:https://www.mamo-wrestling.com/
MAMO:https://mamo.style/
twitter:https://twitter.com/handamamoru

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?