元SEが≪漆器の作り手≫になる(1)
はじめに
突然ですが、
人類の歴史ってどのくらいの期間だと思いますか?
調べたら20万年と出てきました。とても長く感じますが、
では、「地球が誕生してから」というスケールでみたらどうでしょう。
こちらは46億年と言われているのでそれと比べてしまうと、非常に短く、かつごく最近の出来事だとわかります。
何が言いたかったかというと…。
私は今「会津漆器」を作る仕事に従事しているのですが、その仕事は同じように、私の人生の中において、つい最近の出来事だったりします。
私自身、年齢は重ねているものの漆器の実経験は乏しく、若くして始めた人と大差ない…いや、むしろ「ものづくり」やデザインの勉強をしてこなかった分、若い作り手よりも遅れをとっているのが実情です。
漆器づくりに関わる前、私は全然畑違いのIT業界にいました。
20年以上務めてきたシステムエンジニアを辞めて漆器づくりに就くことになった私は、今毎日が苦悩の連続です。
そんな漆器づくりをしている中で感じた思いや将来の展望などをNOTEに綴っていこうと思いました。
長く漆器づくりに携わってきた方々からみれば稚拙な文を書いてしまうことでしょう。ですので予め業務経験が短いことを先にアピールしておきたいと思いまして自己紹介から書くことにしました(笑)。
まずは、私自身が半生を振り返って人生の転機を思い出しながら書いていきたいと思います。
私がどういう経歴の人間か?の紹介も兼ねておりますので、お付き合いいただければ幸いです。
家業は漆器づくり
元々私は漆器職人の家に生まれました。
祖父、父と2代続いての職人です。といっても父は最初から職人をやりたかったわけではなく、祖父が若くして亡くなってしまったので仕方なく始めた、と聞いています。
祖父は41歳の若さで他界、父はその時まだ15歳でした。
父は7人兄妹の長男。
まだ幼い弟たちや母(=私の祖母)の生活のために高校進学を諦めて働かなくてはならなくなりました。
その当時の境遇は今の私には計り知れません。
父は祖父から直接手ほどきを受けることなく、祖父の職人仲間のところに弟子入りして技術を学んでいったそうです。
子供の頃の私は、父が家でしている仕事を見る機会はあったものの、全く興味がなかったので仕事場にもほとんど入ることなく、父がどんな作業をしていたのかもさっぱり記憶がありません。
ドラマやアニメに出てくる父親像は会社など外に働きに出る設定がほとんどなので、出勤もせず、年中家にいる父を奇異な目で見てました。
一番困ったのが小学校(?)のクラスの名簿作成で、親の職業を学校に通知しなくてはならなかったことです。
父の仕事が何なのか理解できず、職業名を言語化できなかったのです。多分父親に尋ねたと思います。おそらく「塗師(ぬりし/ぬし)」とか「漆器職人」とか言われたのでしょうけど、私はそれを職業だと認識できず「そうじゃない!」と突っぱねてました。
クラスの友人には「教員」や「会社員」という”立派な”肩書があるのに何故うちの親はなんで?…という劣等感のようなものがありました。
結局クラス名簿には妥協案(折衷案)として“漆器製造業”という「業種」が載ることになったのでした。
子供のころにやりたかったこと
そんな私は小さい頃どんな子供だったかというと、ご多分に漏れず今の子供と同じようにゲームが好きでした。
といっても、現在のように家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機などなかった時代です。デパートの最上階やスーパーの一角にあったアーケードゲームコーナーによく行っていました。
1ゲーム100円というのは子供には大金なので、50円や30円でできる駄菓子屋などに友達と一緒に遠征することもありました。
当時流行っていたのは「インベーダー」や「ギャラクシアン」のようなシューティングゲームでした。何度もプレイしてハイスコアを目指す、そんなことに明け暮れでいました。初期のビデオゲームは単色で単調なゲームばかりでしたが、徐々に色もカラフルな、そしてノリの良い音楽の付いたゲームが登場してくるようになります。私を含めて子供たちは新しいゲームに次々と心を奪われていきました。
あるとき、友人の一人がこう言いました。
「ゲーム(のプログラム)って、16進数の並びでできてるらしいよ?」
それを聞いた子供の頃の私はこう思いました。
「(なんだ、そんなに簡単なんだ。俺でも作れそうだな。)」
この大いなる勘違いと謎の自信により、少年はゲームプログラマーの道を目指すことになるのでした。
(つづく)
大丈夫かな…?
このペースだと自己紹介だけで8ページくらいいきそうだ(汗)。
#漆器 #職人 #ゲーム #ものづくり #作り手
#伝統工芸
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