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続|本を片手にたずさえて

昨日の投稿のつづきのはなし。

「なに読んでんの?」
24時半。
かなり酔っぱらって、1人でギャーギャー騒ぎながら帰ってきた姉が、ソファーで本を読んでいた私のとなりにドカッと座って聞いてきた。
「村上春樹の、羊をめ…」「はぁ!?だるっ!!早く寝ろよ!!」
題名も聞かずに一蹴し、電気を消して部屋を出て行った。
真っ暗な部屋でため息をつく。
普段まともな人間ほど、酒癖がわるい。



「ずっと気になってるんだけどさ」
何日か後の13時。有給をとっていた姉とのランチの席で切り出された。
「大丈夫なの?ハル」
大丈夫なのって、何についてだろう。横並びで座っていた姉の顔を見た。
「本、読みすぎでしょ。大丈夫なの?」

どうやら箍が外れたように本を読む私の姿は、彼女の目には病的にうつったらしい。
確かにそうかもしれない。最近は眠気の限界が来る1時や2時までリビングのソファーで本を読みふけっていたし、朝も昼も時間があれば本を開いていたから。

大丈夫かどうか聞かれましても。
「大丈夫だよ」
と答えるしかない。時間があるから今までできなかったことをしているだけ、と。

ならいいんだけど、と言ってから、彼女は言葉をつづけた。
「あの頃もずっと本読んでたよね、家で」

あの頃というのは、もう20年近く前。
小学2年生だった私が、学校に行けなかった頃のこと。

1年くらいかな。
どうしても登校できなくて、毎日毎日ベッドのなかで、私はひたすら本を読んでいた。
当時小学5年生だった姉は、毎日学校に行かず、ただただ本を読んでいる妹を、どう見ていたのだろう。

学校に行けなかった理由なんて、今となってはわからないし、当時の私にもわからなかった。
みんなが普通にできている「朝起きて学校に行く」という行為ができない自分を、自分自身ですら理解できなかった。

あの頃、本がなかったら私はどうなっていたんだろう。
「ハリー・ポッター」や「フェアリー・レルム」「シェーラ姫の冒険」。
数々の児童書が、私を冒険や魔法の世界に連れて行ってくれていた。

「起きることのできない朝」という現実と、「本の世界」という非現実を行ったり来たりして、毎日学校に欠席の連絡を入れていた母が「これからは娘を無理に登校させようとはしません」と先生に伝えて、本を片手に母といろいろな地域活動に参加して。

そうしているうちに、ある日突然学校に行けるようになったんだ。
それから卒業までは皆勤で通った。

だから、私が学校に行っていなかったことを覚えている友人はほとんどいない。
幼馴染と家族だけが、いまだにあの頃の話をする。
「あの頃のハルはさ…」といった具合に。



あの頃の私はさ、と思い返す。
本を読まなきゃいけなかったんだよ。
あの時本を読むことで、私は私自身ではどうしようもなかったことを乗り越えることができた。
あの頃の私がしてくれたそういう経験が、20年後の私を支えている。
これは私なりの「生きるすべ」なのだ。

だから私は、今日も本を開いている。

きっとあと10年もしたら、姉はまたいうんだろう。
「あの頃のハルは、本ばっかり読んでてさ…」と。

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