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生きがいについて

神谷美恵子の「生きがいについて」という本が、読みたい本リストの中にずっとある。
読んでいないし、入手すらしていない。
だけど、私の心の一隅に、ずっと存在している。

だからというわけではないのだけど、最近生きがいについてよく考える。
太宰治の「もの思う葦」の冒頭が、次のように始まったことが一因にあるのかもしれない。

もの思う葦という題名にて、日本浪漫派の機関雑誌におよそ一箇年ほどつづけて書かせてもらおうと思い立ったのには、次のような理由がある。
「生きていようと思ったから。」

太宰治「もの思う葦」

万人が知ることとなる死に方をした太宰ですら、生きる理由を探し、それを実践していた。
「生きがい」、「生きがい」とは。


先日、母が好意により私に一人の自由時間をくれた。
ずっと気になっていた、本が読めるカフェへ行った。
注文したスコーンは最初から最後までおいしくて、添えられた生クリームはその都度手で泡立てていて、ふんわりとした優しい甘さで。
普段手に取ることのあまりない作家の本に出会う。
静かな空間で、美味しいコーヒーと丁寧なお菓子とともに本を読む。
これは、人生の幸せだ。

この幸せは、生活と一線を画した場所にある。
ある種の逃避であり、ある種の非現実な世界。
幸せではあるのだけど、これを生きがいとして生きていいのだろうか?

生きがいは、幸せよりも、より生活に近いものなのではないかと思う。
生活のなかに生きがいがあり、生きるために生きがいがあり、それが幸せと重なれば、人はより多幸感を得られるのではないか。

だから、私にとって本を読むことは幸せだけど、それを生きがいにしてはいけない、と思う。想像する。

要するに、もっと真面目に生きなくてはいけないのかな、と悩んでいる。


「もの思う葦」を読んだあと、太宰の書簡集「愛と苦悩の手紙」を読んだ。
表紙は太宰の写真。瞳の奥に闇を感じるのは、その死に方を知っているからだろうか。

少しだけ口角を上げて佇む彼に問う。
「あなたの生きがいは何でしたか」


生きがい「とは」なにか。
生活のなかに、仕事のなかに、本のなかに、我が子の瞳のなかに、その答えを探している。


あなたの生きがいは、何ですか。
お時間があれば、教えてください。

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