🍀 いわれなき差別の中 この国で生きてゆく🍀

あなたがいるから日本にいる

暖かな春の日差しを浴びて、広い公園で今日も自転車乗りのコーチングを開始した。
私の容赦ない指導を受けるのはマニラ出身、40才のフィリピーナ、マリアである。
日本人レストランオーナーの妻としてこの地に暮らして10年になる。

大都市マニラの交通事情から、これまで自転車に乗ったことがなく、彼女にとっては
大挑戦なのだ。運転免許がない彼女の行動範囲は狭い。地方都市とはいえ、思ったときに行きたいところへは行けない。日々の買い物にも苦労している。

市の貸し自転車をおっかなびっくり、腰が引けた状態で引いてくる。それを見るたび
吹き出してしまう。先ずは跨がせて、ただひたすらこぐ練習からスタートさせ、
次に地面を蹴って進む、そして私が自転車の後ろを支えて
ゆっくりペダルを漕いで進む、という練習を何日もかけて辛抱強く続けた。

ただどうしても上半身がぐらぐら左右に動いて、バランスが取れずその度
悲鳴をあげながら転んでしまう。
もうムリ、と涙ぐんでも、同性に涙は通用しない。
転んでこそ乗れるようになる、と私からは容赦ない𠮟咤がとぶ。
中年になってからの練習は大変なことと思ってはいても。

それでもなんとか転ぶ恐怖を減らすために、彼女の腰にベルトを巻き、
しっかりと後ろでつかんで走らせることを考えついた。
これが安心できたと見え、上手くいった。

ぐんぐんスピードを上げて自走している。後方での伴走を止め、
ソッと手を放す。
遂に乗れるようになった瞬間である！

”マリア！！　自分でこいでるよ～！”

彼女の喜びようはなかった。
”風になったみたい！! どこへでもいけそう！”と。

広い園内を何周も何周もまわる。私は笑いながら、涙ぐみながら見守る。
マニラの兄弟に見せるために、ビデオに収める。
３カ月の訓練の成果である。
頑張ったお祝いに、真っ赤でキュートな自転車をプレゼントした。

マリアとは英会話の話し相手として、同じ市内に住む英語講師を検索して
知り合ったのが最初の出会いである。
明るく賢く謙虚な女性で、私とはとても気が合い、会う度、時間を忘れて
話し続ける友人の一人だ。

私が会話をブラッシュアップしたかったのは、東京オリンピックで働くためだ。
職種は希望は出せるものの、その通りとはならないので、オリンピックに関する
e-ラーニング受講以外に、配置場所に応じたコミュニケーション能力が必要となる。

更にアフリカ系の英語は早口な上、発音が違うのでネイティブキャンプで
だいぶ訓練した。このプラットフォームはアフリカに限らずほとんどの
国の方たちとダイレクトな会話ができるので、web記事には無い、生の情報を
得ることができる。
私の場合は100ヵ国以上の方達、更には外国で頑張っている日本人達と
コミュニケーションを取ってきた。
海外事情に興味のある方にはおすすめである。

結局配置されたのは、オリンピック競技会場内の建物だった。
2階には選手達の控え室やトレーニング室、カフェテリアがある。洗面所で彼らと
談笑する機会もあった。

仕事は、競技に関する資料をカウンターで各コーチに配布したり、訪れる選手達からの
競技に関する様々な質問に答えたり、紛失物捜索やクレーム受付、その他だった。

業務の合間を見て選手達のトレーニングの様子や競技を見ることもできた。
数千人規模の観客席で応援しているのは、数人のスタッフのみという残念な状況
だったが。

この経験を通して何を得たかと言えば、
世界最大のスポーツイベントを内側から経験できたことだろう。
厳重な警戒の中、オリンピック期間中はあらゆる事態に備えていることを知った。
又その準備段階でグローバルな視点で物事を考えるようになったこと。

更には日常で困っている場面に出あった際には
誰であろうと、躊躇なく”なにかお手伝いできることはありませんか？”
と申し出ることが出来るようになったことである。
従来の内気な面を克服して、平凡な自分が少しは役に立つ人になれたことがうれしい。

マリアと親交が深まるにつれ、日本で暮らしてきたつらい出来事も話して
くれるようになった。
“この10年間で日本人が、自宅に招いてくれたのは美幸さんだけ。
今まではこの商店街始め、誰一人友人と呼べる人はいなかった。”と。

パート勤めをした時も英語を教えていると話したら、“フィリピン人が教えられる訳がない。“と同僚達から馬鹿にされたり。
私の国では小学校だけで2000時間英語を学ぶのに。今では多くの人が大学へいくようになった。でも相変わらずフィリピン人と言えば、水商売のイメージが拭えないのでしょうね、と。

そして、一番の味方となるべき夫は、結婚後全く別人になった。
ようやく好きな人と結ばれて、幸せ一杯で来日したのに、、。
夫は、外国人伴侶に提供される基本的な日本語教育も受けさせず、妻、
というより、自分の店でただ働きする人間として扱い、お風呂もない、
家具と呼べるものなど何一つない、寝具の枕さえない部屋をあてがっていた。
それどころか、初めて日本に到着したのは冬だったのに防寒具さえ与えず、ブーツは
リユースショップで、ブカブカのものを自分で購入した、と。

そんな状況でも今は経営が苦しくて大変なんだという夫を信じて、精一杯
協力したそうだが、従業員や客達の前で理不尽に叱責されるのは耐えがたいもの
だった。
やることなすことを否定され、あごでこき使われ、徹底的に自尊心を破壊された。
また排泄時はその度ドアを開けて鑑賞するのだそうだ。
こういった仕打ちは同国人にはできない。フィリピン人を思いっきり見下げていることの証だろう。

来日して10年。話すのは不自由しないが読み書きはほとんどできない。
これではここでまともな職は得られない。
そこで近くの図書館に連れて行き、スタッフに相談して、適切な日本語対英語の
初級本から学ぶことを勧めた。
ひらがな、カタカナ、簡単な漢字から始める。
ひと月ほどすると、その成果は勤務先のお菓子屋さんで現れた。
何から何まで同僚にたずねることなく、自分で初めて理解できたのだ！

ここから彼女の自立への道が始まった。
長く苦しい、でもこれまでとは違う希望に向かって。
最後まで私は親友として支えていくつもりである。

”何度もフイリピンに帰りたかった。でも私には日本のお母さんの美彩さんがいる。
それがここで頑張れる理由だから。“
私はしっかりとマリアを抱きしめた。

私こそありがとう。
外国で誰一人頼る人がいない中、いわれなき差別に耐えながら、素直さと
明るさを失わないできたマリアを尊敬する。
笑顔で優しい英語の先生は生徒たちの学習をこれからも大いに伸ばしてくれるだろう。

彼女の明日に幸多かれ!!