この4ヶ月を振り返る
このサイトに掲載している「感覚で映像を記録する」という取り組みを始めて、約4ヶ月が経過した。正直、最初は3人のメンバー以外が殆ど目にすることもないサイトなのでモチベーションの維持が出来るだろうかと不安があった。ただ、先ずはそれで良いし、これはオンライン上の稽古場のような役割、3人の繋がりを辛うじて維持するための場として機能すれば良いと思っていた。
「積み重なる記録」を何度も再生すること、自分の記録の仕方や癖を分析することを通して見えてきたものは、将来的に作品を創る上での基礎として役立つだろうと思う。
目に見えない世界についてのことを敢えて肉体に落とし込み、人前で表現するのが「ダンス」だとすると、私の場合、今までその「ダンス」が本当に届くように上演出来ていたのか疑わしいと感じる。また、これまでダンサー達と振付におけるイメージの共有についても、かなり大雑把におこなってきたことにも気づく。
そもそも、曖昧な言葉による「イメージの共有」は不可能だったのではないか?
表出されているものと表現しているものにズレがあったのではないか?
何かもっと別の手法や伝え方があったのではないか?
感覚的なことは、普段なかなか説明がつかない。説明がつかないから、振付家が振付におこして手渡しするわけだけれど、そもそも身体というのは個別性が高く、「真似る」ことは出来ても振付家の身体性とほぼ同じように表現したいと思ったら数年、数十年は掛かるだろう。
映像は同じことを100%繰り返すことが可能だ。そして、「演る」ために「見る・聞く」ことはとても重要で、繰り返し見ることの重要性に今更気づいたりした。また、映像は私の中にある具体的なイメージや心象風景を可視化し、人に手渡すことも出来るのだと気づく。
それが本当に直接、振付に結びつくかは分からないし、技術の向上に至らないこともあるけれど、少なくとも私はこれまでと別のアプローチでメンバーとコミュニケーションする方法を知った。
この作業を通して、自分にとっての世界の在り方が可視化され、いくつかのパターンを意識することが出来た時、改めて「今まで」を深く見つめることが出来た気がする。
私は自分で思っている以上に、天気や季節、環境、その日あった出来事に影響を受けて世界を見ている。
そしてそれらの影響を受けながら、物事を考え、ダンスや世界を創っている。
情動が起こった後の記録は鮮明で、埋もれている感情に気付かずつけた記録は曖昧だ。
けれど、そのどちらもが重要で、私の感覚を構築し、思考をつくるのだ。
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