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あなたはどう鑑賞する?(導線編)

最近の美術館は、自由導線の傾向が高まってきているのかな? と思ったのでそのことの覚え書き。


PIXARのひみつ展で体験したスーパー自由導線

新潟県立近代美術館で開催中の「PIXARのひみつ展 いのちを生みだすサイエンス」(~11/24)へ行ってきた。ざっくり言うと、PIXARのアニメーションがどうやってできあがっているのか、を、工程ごとにブースを作って体験型で見せていく展覧会だった。とても楽しかった。

最初に「PIXARとPIXARのアニメーションとは?」というプレゼンテーションの映像を強制的に鑑賞しなければならない以外は、気になったところから自由に体験していいよ~という構成だったかなと思う。もちろん、よくよく観察すれば、展示室中央に全体を把握できるブースが置かれていて、その周囲は入口からアニメーション制作の工程順に配置されているのだけど、導線の案内は全くないので(自由導線でも大方はありがちな順番の数字の記載すら省略されている)、どこからでも体験できる。

子どもは飽きたら好きなところへ行けるし、大人は混雑を避けられる。

私はあまりアニメや漫画の展覧会へは行かないけど、やはり大抵の企画展は強制導線で、まず監督名がどどーんと提示され、それに従ってシナリオを書いて、キャラクターを作って、云々かんぬんみたいなものが一列に並んでいる。PIXARのアニメーション制作は(工程に順序はあれども)ダイアローグしながらの完全分業制だからこそ、展覧会でも、特段「ここから観なければならない」強制導線を作る必要がなかったんだろうなと思う。たぶん。

そういう構成なので、鑑賞するのに一つも気負いがいらなくて、さすがディズニーと唸らされるレベルの体験型エンターテイメント展覧会だった。私がこれまでに行った展覧会のどれよりもスーパー自由導線だったけど、もちろん、テーマになっている「いのちを生みだすサイエンス」のエッセンスは全く欠けていない。仕切り一つない空間を歩き回らせ、体験させながら、楽しませながら、彼らは私たちに考えさせる。どういう順序で作ればアニメーションが成立するのか、どういう思考を用いればキャラクターが生き生きと、CGだと感じさせないリアリティで動くのか。うん、やっぱりすごい。


強制導線と自由導線

なんの説明もなくPIXARのひみつ展のスーパー自由導線の話をしたけど、展覧会へ行ったとき、多くの人は、普段、一体どういうふうに会場を歩いているだろう? 意識をしたことはあるだろうか。

ちなみに私は並ぶのが嫌なので、学芸員の皆さんが苦心して考えただろう展示の順序を全てすっ飛ばし、多くの場合、空いているところから観る。

キャプション? よほど気にならないかぎりはほぼ読まない。

従来の展覧会は、強制導線もしくは半強制導線のものが多い。導線というのは人を歩かせる道筋のことで、強制導線は、展示の筋書きに忠実に従っている。そして鑑賞ルートは、基本的には時計回りである。反時計回りの展覧会はほぼ見かけない。(これには理由があるのだけど、今回は省略する。)

大規模な企画展は、おおよそ、科学的な理論に基づいたオーソドックスなこの手法で展示されていて、だから展示室に入室したそこにはすでに、ぞろぞろと人の列ができている。「並ぶ必要はありません」と係員が声掛けをしている展覧会にときたま遭遇するけど、無理を言うな、と個人的には思う。そもそも美術館側が展示に対して強制導線を用いているのだから、心理的には並ぶだろう、そりゃ。

自由導線は、鑑賞ルートが決まっていないもののことで、PIXARのひみつ展のように明確な見方の指示がないことが多い。どちらかというと、現代アートにありがちかなあ。展示にストーリーが全くない、というわけではなくて、あくまでも鑑賞者の好きに観ていいんだよ~みたいなノリである。

どちらの手法も一長一短という感じで、展覧会全体が強制導線のこともあれば、一部には自由導線を入れたりと、ぐちゃぐちゃなことも多い。いずれの場合も、担当学芸員の匙加減で、展覧会の趣旨に沿ったルート設計になっている(はずだ)。

PIXARのひみつ展のような、実際の作業には工程が存在するにもかかわらず、仕切り一つないスーパー自由導線はめずらしいと思う。

※ぶっちゃけ、個人的な体感では、日本人の多くは並びたがりなので、自由導線はあんまり好かれていない気がする。現代アートの美術館で勤務していたときは「どう観て行けばいいのかわからない」とよく訊かれたし。

※博物館学の資料には「導線」と書かれていることもあるし「動線」と書かれていることもある。「導線」は見せ手側の理論で「動線」は実態なのかなあと思って勉強してきたけど、どちらが正しいのかは未だに知らない。


導線のメリット、デメリット

先にも書いたけど、私は並ぶのが嫌なので、強制導線だろうが自由導線だろうが、人垣の少ない、空いているところから鑑賞する。通り過ぎても、あそこはもう一回見直したいな、と思えば、戻ればいいだけ。そして戻ると、混雑が緩和しているものなのだ。

ただ、私の鑑賞スタイルは、展示の筋書きをほぼほぼ無視して進んでいくことになるので、「展覧会/作品を理解したい」気持ちをしっかり持っている人ほど向かないと思う。

以前に、私の研究手法の紹介をしたけど、私は歴史の文脈の中で作品を解釈する研究をしていた人間なので、順を追いたい気持ちは理解できる。だから、強制導線に従って並ぶ必要はない、と考えているわけではないのだ。学芸員さんがきちんと考えて組み立てている鑑賞順序でもあるし、本来、最も推奨されうる鑑賞方法だろう。

随分前に「なぜ展覧会で人は並ぶのか」という批判的趣旨のツイートがバズっていた記憶があるけど、意図的にそういう導線が作られているのだから仕方がない。私がすっ飛ばすのは、私が並びたくないからだ。


とはいえ、展示室内に「列ができる」というのは、恐らく強制導線の最たるデメリットで、入口付近に人溜まりができやすく、待ち時間を発生させ、混雑を誘引するので、最近の美術館はこれをどうにか解消しようという方向へ進んでいる気がする。

入口を抜けたすぐ先の空間は、間仕切りを減らし、展示スペースを大きく取り、そこにいくつもの作品を一度に配置する。そして、その場所ではどこから観てもいい。同時に入室した人たちをばらけさせ、個々の鑑賞を促すことで、移動に緩急をつけ、以降の混雑を解消する。そんな流れ。

自由導線のデメリットは「展示の意図が伝わりにくい」点にあるので、展覧会を構成する強制導線の中に自由導線の大きなポケットを複数回設けることで、「理解しやすい展示を作る」強制導線のメリットを活かしつつ、スムーズな人の動きを作ろうとしているのかな、と思う。


このとおり、強制導線は「順を追う」仕組みなので、パネルやキャプションで常に情報が提示され、形成の文脈を整理しつつ作品に向き合うことができるため、どちらかというと理屈っぽいというか、展覧会という一冊の本を読んでいくようなもの、と私は捉えている。

翻って、自由導線は「自分で思考する」一面が強い。PIXARのひみつ展のようなスーパー自由導線まではいかなくても、ある程度、間仕切りを設けないことで、体験型の展示を多く配置することも可能だ。もしかしたら、自由導線が増え(ている気がす)る背景には、アートで創造性を磨く、という、昨今流行りの鑑賞スタイルに寄せているところもあるのかもしれない。

知らないけど。

冒頭の「自由導線の傾向が高まっているのかな?」というのは、ここらへんを考えた上での私の所感である。


あなたはどう鑑賞する?

私は、私自身が最早フリーダム鑑賞者なので、展覧会が強制導線でも自由導線でもあまり気にしないのだけど、人によって向き不向きはあると思う。ルートが指示されている方が作品を理解しやすい人もいれば、好き勝手に動き回って自分でじっくり考えたい人もいるだろう。

ところで、ニューヨーク近代美術館で対話型美術鑑賞の手法を開発した研究者の一人である認知心理学者のアビゲイル・ハウゼンは、鑑賞者の美的発達段階を五つに分類している。以下、諸々省略したざっくりしたその説明。

 第一段階「物語の段階」
  :自分の感情や感覚に頼って作品を観る
 第二段階「構築の段階」
  :自分の知識や価値観において筋の通るものを使用し作品を解釈する
 第三段階「分類の段階」
  :資料に依拠して合理的かつ批判的に作品を分析する
 第四段階「解釈の段階」
  :自分の感情と直観と批判的スキルを用いて作品を洞察し再解釈する
 第五段階「再創造の段階」
  :個人的思考と普遍的概念を複雑に組み合わせ作品の謎を解き明かす

私は第三段階と第四段階を行き来しているぐらいだと思っているけど、このnoteを読んでいるあなたはどうだろう?

私は、展覧会における導線やキャプションというのは、学芸員さんたちの研究の成果を読むためのものでもあるし、その人の鑑賞体験をよりよいものにするために手助けをしてくれる仕組みでもある、と考えている。前者が目的の場合はもちろん順を追って観て行くだろうが、後者においては、使いたければ使えばいいし、いらないのなら一人で歩いてかまわないと思う。

展示の意図に乗って歩いてみたり、たまには逆らってみたりしながら、いろいろと試して、自分に向いた鑑賞スタイルを見つけると、美術館はもっと楽しくなる。普段は気づかない、新しい発見ができるかもね?


個人的な覚え書きとして書き始めた記事だけど、普段、展覧会を歩くときに「この流れの中で自分はどういうふうに展示に向き合いたいかな?」とちょこっと考える参考になってくれたら嬉しい。

なお、PIXARのひみつ展のような、スーパー自由導線でありつつ、発想と思考を促す展覧会は中々稀なので(そもそも、あれだけ手の込んだ体験型展示に投資できるのはやはりリターンが確実に見込めるディズニーのブランド力だとしか言えない)、導線とうまく付き合うのは大事だと思っている。

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