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傷つく勇気



 noteのつづけ方、というお題企画が上がっていたので考えてみようと思ったのだけど、悩んだら書けなくなる気しかしなかったので、秒でやめた。
 つまり「noteのつづけ方」があるとしたら、一つには、一つの記事で深刻に考えすぎない、ということのような気がする。
 毎日気が変わっていいので、今、思っていることを書く。
 思考を本だとするなら「今、載せたいページ」を切り取るような感覚だ。そのページはじっくり読ませたいものもあるし、ふわっとした印象だけが残ればいいようなものもある。誰宛というのでもなく、単純に、自分が見返しやすいようにページを切って壁に貼っている、という感じのものも多い。

 noteという単語は、そもそも「メモ、覚え書き」という意味だし。



 で、それとは別に、普段から「公開し続けるコツ」として、私が思っていることをざっくり書いてみると。

 読み手に対し配慮しなくてもいいというわけではないけど、配慮しすぎると何も主張できなくなると考えていて、記事を公開することでどう受け取られ、何を言われても、あるいはまったくの無関心だけが目の前を通りすぎたとして、そこに「あれる」だけの傷つく勇気を持つことが、webで書きものをし続ける一番のコツではないかな、と私は思う。

 noteの読者はやさしいけど、書いたものを公開し続けていると、まあ、いろいろある。webでもの書きをしてきて十数年、いろいろあった人間が言うのだから、本当にいろいろなことがある。

 他者の反応は怖いものだ。全員が私の文章を好きだと言ってくれるわけではないし、全員が内容を肯定してくれるわけでもない。よくできたと思った文章のウケがあんまりよくなかったり、手慰みに書いたものがすごく褒められたり。どう考えても私が悪い話もあれば、思いも掛けず石を投げられることもある。傷つく、という観点でいうと、自分の知らない角度で他人が傷つく/他人の知らない角度で私が傷つく、ということも、ままあるのだ。
 そういうときは本当に落ち込むし、へこむし、この世の終わりのように感じるけれど、文章を公開した結果、何かしら「傷つく」というのは、積極的に、自分の言葉で人に思いを届けようとした、自分の言葉で世の中に関わろうとしたからこそ、なのだと思う。


 私の経験上、いろいろあると、どんどん、公開するのが怖くなる。
 何かを言われたりすることだけではない。noteのような仕様の場合、ダッシュボードでページビューがわかったり、いいねで他者の評価が見えたりすると、一番怖いのは、自分の記事への無関心になってしまいがちだ。
 恐怖が募ると、書く気持ちは萎縮していく。
 それでも公開を続けていくには、やっぱり、傷つく勇気をちょびっとだけでも持っておく必要がある。これが私の思う「noteのつづけ方」。




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