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私は、政治の話をする。

毎日少しずつ民主主義が死んでいくのを見ている。いや、これまでも私の視界ではずっと朽ちて見えていたのだけれども、朝顔が一日を掛けてゆっくりと凋んでいくようにスローだったものがそうではなくなって、水を遣ったその瞬間にわっと枯れる、みたいに見える。


これまで、ツイッターで政治の話題を出すとどんなに仲良くしていてもたびたびリムーブされたし、友人と食事に行って政治の話をしたら渋い顔をされることは当たり前にあって、そのたびに小さく失望しながらも、まあ仕方ないよねなんて受け止めていた。でも、どうなんだろう。相互フォローが数百人単位で存在しているのに、タイムラインにちっとも政治の話題が流れてこない、このさまは果たして仕方がないことなんだろうか? 友人と街中を歩いていて、私が選挙ビラを受け取るとき、まともに政党の名前も知らなければ「選挙? 忙しいしだるいし行かないよ」という友人の在り様を諦めることは、果たして仕方がないことなんだろうか?

入管法改正案の委員会採決をツイッターでひたすら追いながら、アイヒマンのことを考えた。一日中アイヒマンのことを考えていた。私は、いま、何かすごく、自分が絶対に加担したくないと思っていた邪悪さに加担してはいないだろうか。いつでも卵の側に立てる人間でありたいと願ってきたけれど、足を踏みつける人間に怒れる人間でありたいと願ってきたけれど、私はそれを選択できているのだろうか。たかだか、ツイッターで、誰かに嫌がられるかもしれないと、自分のタイムラインで政治の話題を出すことを徐々に躊躇うようになった私は? 友人が興味なさそうに相槌を打つのがしんどくて、次第に話すのを諦めてしまった私は?

選挙で野党が負けるたびにうんざりして、2021年の衆院選では大泣きして夜も眠れなくなって、もう頑張れないって心底思った。闘うことがつらい。ここから逃げたい。胸が苦しい。悲しい。私はいつも、日本に生きることがしんどい。選挙には行く。引き続きずっと自民党政治にはNOを言い続ける。それでもそれ以外のときには、まわりと同じように、上っ面の楽しい日々だけを掬って、なんとなく生きて、あーあやっぱりこの国終わってますね政治家マジでクッソ無能って斜に構えてわらって、痛みを麻痺させて、それでいいじゃんか。もうそれでいいじゃんか。


よくねえわ。

救いを求めて日本へやってきた人の足をなんの躊躇いもなく思い切り踏みつけている政治が、どうして私の足を踏まないなんて思えるだろう。こいつらは絶対、私の足も踏む。いやもう既に踏んでいるんだけれども、日本人ですら、これまで以上に人間らしい生き方を全て奪って踏みつける。憲法第25条? すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する? いらんやろそんなんおまえらなんかに、って絶対言ってくるし、なんならマイナンバーカード法案は健康の部分を棄損しているのは明白すぎる。ていうか軍需産業強化法案てなに? 全然報道されないまましれっと採決されているんだがこれ国民のどれくらいが認識してんの。日本の三原則の一つは平和主義なんじゃねえのかよ。

国会を見渡せば日本は本当にめちゃくちゃだ。そもそも入管法改正案は国際法に違反している。先進国が聞いて呆れるな。でも、それくらい大きな出来事なのに、ツイッターのタイムラインには本当にちっとも政治の話が流れてこない。もしかしたらX社が間引いているのかもしれないけどそれにしたって流れてこない。ツイッターがその人の世界の全てではないことは百も承知で、それが決して悪いことではないとわかっていても、昨日、初めて、このタイムラインはおぞましくグロテスクだなと思った。「個人的なことは政治的なこと」とはよく言ったものだけれど、これだけ生活やキャリアや子育てをよりよいものにして満たされたいと考えている人たちが、ほんの1ツイートすらも政治の話をしない、リツイートすらもしないって「正常」なんだろうか?


最近、唯一いいなと思っていることは、美容室へ行くと美容師さんが普通に政治の話をしてくれること。世間話の流れで自然に「日本おかしくない?」って言ってくれること。安心する。私もタイムラインに政治の話を流すし、友人には「選挙行けや。行ってないって言えるのダサい」って言う。そうする。


Dialogue for Peopleが主催する講座いいなって思った。残念ながら年齢制限で私は受けられないけど、興味のある誰かに届けばいいと願ってここに貼る。

あとSocial Coffee Houseも。

知らないことを学ぶ場はいくらでもあるなって思う。学んでいこうよ、みんなで。一方で、知らないことを知らない人や、学ぶことの楽しさを知らない人にはどうアクセスしたらいいんかなって、実はそれが日本の一番の課題なんじゃないかなという気がする。教育の敗北とよく聞くようになったけれど、公教育が機能しない理由はなんだろう。一つには貧困、一つには教員の多忙化。他にもあるだろうな。

政治を話すことは、私が学ぶことを許されてきた、なに不自由なく進学することが可能だったその恩恵を次の世代へ渡してゆく、大事な使命なんだよな。たとえそれがどんなに狭く小さな範囲や事柄であったとしても。

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