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何度でも読み返したいnoteの記録
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2019年5月の記事一覧

思い上がりは視線に出る

歳を経れば経るほど実感するのは、自分が思っている以上に自分の良くない部分、とりわけ傲慢な考えは他人に伝わっているということ。 人よりも自分が偉いと思っていたり、見下すような感情ほど、相手に感度良く届く。それは、特に付き合いのない、街中で単に数秒すれ違っただけの相手でさえも。 たとえば軽くぶつかった時、すかさず自分の荷物や服にだけ視線がいって、相手のスマートフォンが落ちたことになんてお構い無しだったら? そもそもぶつかったこと自体特に気も留めず、スタスタと歩いて行ったら? そ

25歳、夢をあきらめる

 夢を諦めるってどういうことか、いつか忘れてしまう前に書き留めたかった。  この世が終わるような気がしたし、死んじゃいそうなくらい涙が出た。なにより、私はこんなにも苦しいのに、世界は何も変わらないことが絶望的に悲しい。体が半分なくなった。夢を失うことは、瀕死の大失恋だ。  「ファッションモデルになりたい」というのが、大学生の頃、上京したての私の「夢」だった。ある意味でそれは叶ったし、叶わなかったともいえる。夢半ばで諦めたというのが、きっと一番近い表現だ。  noteには、

「私のせい」と妄想が止まらないとき

何かにつけて罪悪感が脳内に巡ってくる。 例えば、なぜか自分にだけ当たりのきつい人がいるとき。「私がいるせいであの人に不快な思いをさせてしまっている」と、自分を否定する。 「私が何かしてしまったのかもしれない。私の存在が気に入らないのかもしれない」と心配し、相手の気分を伺ったり、変にほめたりしても結局気に入られることはなくて、「やっぱり私はダメなんだ」とさらに落ち込んでしまう。 例えば、付き合うことになった彼に実は他の女の子が言い寄っていると知ったとき。付き合い始めた恋人

やさしさに見える無関心について

多様性を保った社会の実現に向けて、ようやく世間的には一歩踏み出した感じがしますね。 他者の意見や行動を尊重して、優しくしましょう、受け入れよう、という方向に解釈されていることが多いですが、その実態は本当に優しさか、漫画にしました。 実は他人に対して、無関心なときほど受容的な態度は取りやすいと思います。自分に関係ないし、同じコミュニティにいないうえ、なんの発言責任もないのだから。 助言やアドバイスや進言は、時には鬱陶しいし放って置いてくれと思うこともありますが、逆に考えれ

痛ましい事件について、わたしたちはどう発言したらいいのか

たくさんの人が傷ついた。 川崎登戸殺傷事件。速報を見て、なんてことが起こったんだと愕然とした。 SNSには戸惑いの声が溢れていた。 事件を嘆く声、自殺した犯人を責める声、それに対して誰かが怒り、またそれに別の人が怒っていた。不安と怒りが「犯人死亡」ということでやり場をなくして飛び交い、どんどん大きくなっているように見えた。 それについて私は思わず、以下のツイートをした。 不安だった。 負の感情は連鎖して大きくなる。その『マイナスの集合体』のようなものが怖かった。 いろ

遺族取材をやめたかったマスコミのひとりとして。

毎日のように、悲惨な交通事故のニュースが目に入る。 母娘が亡くなってしまった池袋の事故のあの後はどうなっただろう(事故7ヶ月後にして書類送検となるらしいです/2019年11月追記) そして、園児たちが巻き込まれる大きな事故もあった。 園長先生による記者会見が、さまざまないびつさを持っていた。そもそも園が会見をしなきゃいけなかったこと。事故当日の詳細を質問された園長先生。なぜ、いまここで、この方がそれに答えなければいけないのか? なんのために? 目的のわかりづらい質問に多く