ソラミミソファ

空港ロビー

「本当に何も言わないで行くの?」
空港の雑踏の中で、ショルダーバッグを肩に立ちあがった私にトモコが声をかけた。いいの?と言葉の後ろに彼女の心配が響く。無言で頷いた私に駄目押しで彼女の質問が飛んできた。
「あいつ、勝手だからすぐに忘れちゃうかもよ」
分かってる、トモコが私のためを思って言ってくれてるってことは。私の迷いも未練も全部お見通しなんだろう…でも。
「うん、大丈夫。いまさら声かけちゃったら、自分の決意も…ね」
空元気で言ってみせたけど、その後の言葉が口から出た時はちょっと本気で笑みがこぼれた。
「当分は私のこと忘れられないようにしてきたから」
笑いながらトモコを見る。トモコは何を言ってるか分からないと思うけど、でもきっと私の気持ちを分かってくれる。

大好きなユウヤの元を何も言わずに出てきた私の気持ちを。


あのころ

ユウヤと一緒にいたのは、結局3年と10ヶ月。私の誕生日に付き合い始めたから、嫌でも長さを計ってしまう。
すごく繊細な人だった。それを隠すように強がって、大胆に笑ってみせる人。彼の夢を追う姿に私も惹かれた。何となく一緒にいるようになって、どちらからともなく付き合うことを意識するようになって。
「同棲でもするか」
ってそっぽ向きながらユウヤが言ったのは、付き合い始めて1年の誕生日だった。

どちらかの部屋に転がり込むことも出来たけど、どうせなら最初から二人でやろうと部屋探しを始めた。都心から私鉄で数駅行ったところからさらに15分も歩いたところにある小さな部屋。それが私たちの城になった。
カーテンも食器も全部二人で揃えた。ベッドか布団かではケンカにもなった。ボディソープは私が選んだけど、歯磨き粉だけはどうしてもユウヤが譲らなかった。ひとつ決めるたびに生活が形作られていくようで、心地よかった。

そんな中で、ひとつだけ私がどうしてもと言い張ったものがある。それが、ソファ。ユウヤはそれでなくても狭い部屋なんだからそんなもの要らないと言った。実は私もその気持ちは分かりすぎるくらい分かっていた。
でも、いつか見た映画でのワンシーン。恋人たちが小さなソファに寄り添いながら未来を語る姿は私の心にずっと残っていて。
いつか本当に大切な人が出来たら、その人と暮らす部屋にはソファを置いて、寄り添いながら語り合いたいと心に思い描いていた。

結局その話はユウヤにはしないままだったけれど。

繁華街の中にある家具屋で見つけた空色の小さなソファ。二人の狭い部屋には大きすぎるくらいで、色も何だかそこだけ飛び出しているように目立っていたけれど。何度めかにそのソファを見に行った時、私が何か言う前にユウヤは「しょうがねぇなぁ」と言って店員さんに配達をお願いしてくれた。

配達当日は二人とも部屋にいたけれど、ソファの場所は私が決めた。「こんなど真ん中?」とユウヤの驚いた顔は今でも記憶に残ってる。部屋は狭くなったけど、私には居場所が出来た。


テレビを見る時、本を読むとき、日記を書くとき、くつろぐとき、私はソファに座るのが日課になった。ユウヤと一緒に座りたかったのに、どんなに呼んでもユウヤは隣に座ってくれなかった。
「俺、ここでいいや」そう言ってソファにもたれかかってテレビを見るユウヤの頭を私は上から覗いていた。「ユウヤ」何の用事もないのに名前を呼ぶと、めんどくさそうにだけど必ずこっちを向いてくれた。たまに何も言わずつむじをつつくと、そのまま膝に頭をもたせかけるようにするユウヤが愛おしくて。
二人でそのまま寝込んでしまうことも度々だった。明け方、肌寒くて目が覚めた後、ソファを降りて寝込んだユウヤの隣に移動するのはいつも私の役目だった。

ソファに隣同士で座ることは出来なかったけど、こんな日々もいいかなって、ずっと信じていた。

いつしか、ユウヤの口から夢の話を聞くことが少なくなっていた。壁にぶつかっているのは分かっていた。そしてそれを一人で乗り越えたいと思っていることも。
私は手助けがしたかったけど、何をしたらいいのか分からなかった。話を聞くくらいは出来た気がするけど、話したくなさそうなのに無理に聞き出すのも違う気がして。

相変わらず私はソファに座って、ユウヤはそこに寄りかかってはいたけれど。
二人の間には隙間が出来始めていた。その隙間は、いつの間にか抱き合っても埋まらなくなっていた。


保安検査場前

「じゃ、行くね」
改めてそう言って、トモコに軽くハグをした。トモコはすっと離れようとする私を抱きとめるかのようにギュッと抱きしめてきた。
「幸せになれよ」
「…ありがと」
照れるように言ったトモコのぞんざいな口調はユウヤに似ていたけど、別に狙ったわけじゃないだろう。それでも鼻の奥が一瞬だけツンとした。

ゲートをくぐろうとする私の後ろ姿にトモコが声をかけてきた。
「もし連絡あったらなんて言う?」
ゲートの向こう側から、少し大きな声で私は答えを返す。
「座ってみたらって、そう伝えて」
そうして私は踵を返した。


その日、ユウヤは夜遅くなると言っていた。予定通りに事が進まなくて、でも出かけなくてはいけないことに苛立っているようだった。

私が必ず食べて欲しいと言って、朝から出かける時もごはんを二人で食べるようにしていた。いつも私がソファ、ユウヤはその下でソファにもたれかかりながら。食べながら、決めていた一言をそっと口にした。
「もう、このソファが私みたいなもんだね」
ん?と一瞬不思議そうに見上げたユウヤは、久しぶりに悪戯っ子のような顔でクシャっと笑った。
「そだな」

そう言って、ユウヤは出かけていった。

そうして、私はこの部屋を後にした。

ソファを部屋の真ん中に残したまま。


ソラミミソファ


あとがきに代えて

原作
東京60WATTS「ソラミミソファ」

※作詞の大川毅氏からは作品確認の上、公開許諾済です。

私の大好きな曲へのオマージュ作品です。好きな曲にはいくつかタイプがあるのですが、その中でもこの曲は聴くたびに鮮やかに「彼女」の声が聞こえてきて。
初めてそう思った時から何年も経ち、何度もイメージは変遷していきましたが、最終的にこんな形にしてみました。もっと時間がかかるかと思っていましたが、ゆっくり温めていた分、一気に書き上げられました。

読み終わってもし気に入っていただけたら、曲を全編聴いていただけるととても嬉しいです。作詞者からは「歌詞を読まずにまずは音楽で聴いてみてほしい」とのコメントをもらっています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。まだまだ未熟ですが、ご感想いただけたらとても嬉しいです。 いただいたサポートは、創作活動を持続させる為に使わせていただきます。原作者のいるものを気に入っていただけた場合は、原作者にも還元出来たらと考えています。