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9話 約束

陸上が楽しくてたまらなかった。

規律正しく皆で同じ目標に向かうストイックな高校陸上から、人それぞれの熱量で陸上を楽しむ非強豪大学陸上部の雰囲気に、最初は戸惑いや物足りなさも感じたが、個性豊かで向上心溢れる(&陸上マニアの)チームメイトに恵まれ、新たな陸上の素晴らしさに気づき始めた頃だった。

大学から新たに陸上を始める仲間も多くいて、そういう存在もまた、純粋に陸上を楽しむ新鮮な気持ちを思い出させてくれた。

逃げた自分、燃え尽きた自分はもうそこにはいなかった。


2度目の関西インカレも、2部ながら優勝し、少しずつ自信を取り戻していた。


9月になった。

去年まで知らなかった全カレの舞台に立っていた。

ここで僕は衝撃を受けた。

一本目の試技からいきなり東京の選手が16mを跳んだのだ。

それでも皆平然と競技をしているではないか。

今まで、3本目までにそれなりの記録を跳んで、ベストエイト進出後に記録を伸ばしていく試合展開しか自分には無かった。

もちろん、それでも勝負できればいいのだが、基準値が異次元過ぎた。

何故なら、当時関西学生記録は15m99だったからだ。

関西の学生でまだ誰一人として16mの壁すら越えていないのに、関東の選手はそれを前半試技に出してくる。

「土俵が違う」と思ってしまった。

先制パンチを食らってあっさりとKOされた僕は15m前半の記録で予選落ちに終わった。



その日、自分の中で何かが変わった。

「このままではいけない」

そして、15m99という記録を見て勝手に壁のように感じていたものは、壁でも何でもないんだと思うようになった。

さらに、関西の学生が誰も16mを跳んでいないということは、関西では16mの跳び方を誰も知らないんだと思い、そのヒントを求めてさまざまな人のもとに練習をしに行った。

その一つが千葉にあるとある強豪大学だった。

高校の恩師の計らいで、沖縄合宿での練習参加を受け入れてくれることとなり、ロクと2人で近くの宿を押さえて参加した。

大学生にしてはそれなりの出費をして沖縄まで行くからには、一言も聞き漏らさないつもりでアドバイスに耳を傾けた。

そこで今までの自分には無かった考え方に触れることができた。

「これを習得できれば、記録を伸ばせるかもしれない」

と強く感じた。



自分の中で新たな跳躍イメージが出来つつあるとき、僕はふくらはぎを肉離れしてしまう。

そのせいで、走ることも跳ぶことも全くできなくなってしまった。

しかし、できることはある。

頭の中で繰り返しイメージを作り、体ではなく脳に刷り込んだ。

高校時代に教わったメンタルトレーニングとイメージトレーニングが役に立った。



一度も跳躍練習をしないまま、ぶっつけ本番で4月の大会を迎えた。

驚くことにその日15m65の自己ベストを跳んだ。

後にビデオで跳躍を確認すると、頭に描いていたイメージ通りに自分は跳んでいたのだ。

この経験で、脳のイメージを書き換えることができれば、無意識下での動きを変えることができるんだと学ぶことができた。

ちなみに15m65はこの大会の大会記録を更新する記録だったが、シンジが15m70を跳び優勝を飾ったため幻と消えた。



5月。3度目の関西インカレ。

この日は雨で気温10℃という過酷なコンディションだった。

それでも何とか、2部の大会新記録を跳び優勝することができた。

この記録は1部の優勝記録をも上回っており、2部の大会最優秀選手にも選ばれた。

コンディションを考慮すれば、16mも現実的に思えた。



5月の末、大事な試合を翌週に控えていたが、名古屋大学との対抗戦がありこちらも外すことはできなかった。

最小限の試技に留めようと、一本だけ跳ぶつもりでピットに立った。

一本目。ステップで上体が突っ込んでバランスを崩したが、そこそこの記録が出て「今日はいけるかもしれない」と感じた。

欲を出してあと一本だけ跳んだところ、日本選手権の標準記録を突破した。

この時はまさに破竹の勢いだった。



そして忘れもしない6月6日。

日本学生個人選手権。

2年前に大学デビューを飾った試合。

この時はさすがに夜行バスは控えて、新幹線で前日に現地入りしていた。

そう、シンジと一緒に。


気温、風、共に申し分の無いコンディションだった。

一本目は緊張や力みからよく失敗してしまう方だ。

案の定、バランスを崩した失敗跳躍だったが、15m後半の記録が出た。

「追い風にうまく乗れば、記録が狙えるかもしれない」と思った。


その時、とんでもない事が起きる。


シンジが16mを跳んだのだ。

関西の学生としては初めての大台突破。

まさに歴史的瞬間だった。

興奮した様子で「お前もいったれ」と煽るシンジ。


「バチン」と恒例のハイタッチでエールに応えた。



それは5回目の跳躍だった。

良い跳躍の時はだいたい決まって走り始めた瞬間にわかるものである。

「良い」

と思った次の瞬間には踏み切っていた。

「やばい、潰れる」

そう感じてしまうほど、勢い良くホップに入った。

ズドンと足の裏から頭に衝撃が抜けた。

文字通り全身で地面からの力を受け止めた感じだった。

次に記憶しているシーンは、もうすでに砂場に着地しようとしている瞬間だった。



「公認だよ!」

誰かが叫んだ。

僕にはわけがわからなかった。



計測員が記録を読み上げる。

「じゅうろく…」

その瞬間、全身が震えた。



記録は16m26。関西学生新記録。

大会新記録での優勝だった。


高校3年、初めて15mの壁を突破したのも2人同じ日だった。

そして16mの壁も、2人で突破したのだ。

シンジは3位に入り、全国の表彰台に2人で立った。

「いつか全国でワンツー取ろうぜ」と壮大な約束した日から6年、僕たちはその風景を垣間見た。

サポートいただけたら嬉しくて三歩跳びます。