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6話 精神が肉体を凌駕する時
陸上は冬になるとオフシーズンとなり、辛く厳しい鍛錬の期間となる。
試合では自分を鼓舞してくれるライバルも、オフシーズンとなると会うことも少なくなった。
僕の通う高校は、ちょうど入学した年に進学校にカリキュラムが変更された。
そのせいもあってか、同学年の男子部員は僕の他に4人しかいなかった。
そのうちの1人が三段跳選手だったのは、奇跡としか言いようがなかった。
毎日の辛い練習も、同じ空間にまた別のライバルがいたからこそ、頑張れた。
彼の名前はロクと言った。
春が来てシーズンが始まった。
ちょうど1年前に三段跳デビューを飾った春季大会で、わずかながら自己ベストを出した。
高校生として初めての冬期練習で取り組んだウエイトトレーニングの成果も感じていた。
高校シーズン最大の目標であるインターハイ予選が始まる。
5月の市内予選はパスしていたので、6月の京都府予選からだった。
この大会で6位に入れば近畿、近畿でも予選を突破し決勝で6位に入れば、ついに全国インターハイ進出となる。
三段跳は最終日だった。
走高跳で自己ベストをマークし2位で近畿大会を決めていた僕は好調だった。
三段跳も勢いそのままに、難なく予選を通過、ベストエイトに残った。
ひと冬で、僕は確実に強くなっていた。
シンジとの激闘の末、14m66の大幅自己ベストで優勝した。
シンジは14m62で2位に入り、京都でワンツーを飾った。
チームメイトのロクもこの決勝の舞台で自己ベストをマークし、揃って近畿大会へ進出した。
すべてが順調だった。
近畿大会。
両種目ともに予選を通過したものの、走高跳は決勝で敗退した。
残るは三段跳だけだった。
近畿は、大阪、京都、兵庫などの強豪が集まる全国屈指のハイレベル地区だった。
東京、神奈川、千葉のある南関東に並ぶ、全国インターハイに一番遠い激戦区である。
三段跳の京都勢も皆予選でその厚い壁に跳ね返されていた。
迎えた三段跳決勝。
京都勢で残ったのは僕とシンジ。
しかし最後の跳躍が終わった後、僕は肩を落としていた。
なぜなら、7位でギリギリ全国を逃した、と思っていたからだった。
周りからのおめでとうの一言で、それは勘違いだったと気づいた。
6位だったのだ。
7位との差は、2cmだった。
この時なぜそんな勘違いをしていたのか、今でもさっぱりわからないが、なんとか全国インターハイへの道は開かれたのだった。
シンジはこの決勝で自己ベストを跳び4位に入っていたため2人で全国へ挑むことになった。
8月。
島根で開催される全国の舞台に来ていた。
シンジと僕は、今思うと強がっていた。
空気に飲まれまいと、試合中もいつもの自分たちのペースを作り出そうと必死だったが、意識してやっている時点で、すでに空気に飲まれていたのだ。
2人揃って何もできずに予選で敗退した。
初めて味わう絶望感だった。
そして何より、クラスメイトやチームメイトから色紙や応援メッセージをたくさんもらって送り出されたことに対し、申し訳なさや不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。
インターハイが終わり、その年の目標は、秋の試合で記録を少しでも伸ばすことに切り替わった。
10月に埼玉で国体が開催されることになっていたが、各種目標準記録がA、B、Cと設定されており、Cランクだった僕は選ばれることはないと思っていた。
ところがどういう訳か、選ばれた。
しかも、少年Aという高3と高2のカテゴリーで、上級生相手に戦わなくてはならなかった。
三段跳決勝の日は雨でピットが濡れていたように記憶している。
予選で14m87の自己ベストを跳び決勝に進出。
自分でも驚いた。
しかし決勝で腰に痛みが出た。
全く跳躍で体を支えられず、2本目まで13m台と悲惨な状況だった。
3本目。
ここで跳ばなければ、試合終了。
跳躍ピットに立ったその時、自分のバッグにあったチームメイトからの応援グッズが目に入った。
「このまま終わったら、インターハイの時と一緒や」
途端に、周りから音が消えた。
僕は初めて【ゾーン】というものを経験した。
超集中状態に入り、不思議と体の痛みも消えていた。
気付いたときにはすでに砂場に着地していた。
記録は14m82。
この記録で初めて全国の舞台で入賞した。
また、全国のランキングで高2の中で2位となり、来年の全国インターハイ制覇も意識しはじめるようになった。
順調だった高校シーズンに、暗雲が立ち込める出来事が起きた。
練習中、腰にピキッと電気が走るような痛みが走った。
高校ラストシーズンを目前に控えた日のことだった。
サポートいただけたら嬉しくて三歩跳びます。