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8話 離れて気づくこと

国立大学に入学した僕は、サッカー部にいた。


高校の3年間は陸上に捧げたと言っても過言ではなかった。

あれだけ辛い練習を乗り越え、到達した15mという記録。

受験のブランクを克服しそこまで戻るのに、またどれだけ辛い練習をしなくてはいけないんだろう。

下手に試合に出ても跳べなかったら「花谷は終わった」と思われるんじゃないか。

さらに、また大学でトップを目指すには16mを跳ばなくてはいけない。

「なんて途方も無い道程なんだろう」

僕は怖気づいて、逃げたのだ。


「陸上をやるなら私立の強豪校で、そうでないなら勉強を頑張ろう」

そう自分で決めたよな、と自分に言い聞かせていた。

運動はしたくてサークルにも顔を出したが、手加減しながらやるスポーツに何も楽しさを感じなかった。

で、結局陸上の次に好きだったサッカーをやろうと思った。


足の速さ、ジャンプ力は、武器になると甘く考えた。

現実はもちろんそんなに甘くなかった。

重心の高い走りが身についていて、当たりに弱い。

真っ直ぐ前を見て走るクセがついていて、広い視野を取れない。

全力で走り過ぎてすぐバテる。

「こんなにも難しいんだ」と思った。

そんなことをしながらも新人戦には背番号21をつけて出場もしたが、大事な場面で一対一を外した。



夏のある日。

陸上の全国インターハイが大阪で開催されるからと誘われた。

後輩が走高跳に出場するのでその応援に行くことになった。

千葉で入賞した全国インターハイからちょうど1年が経っていた。


初めて、ただの観客として陸上の試合を観に行った。

そこで僕は、後輩のジャンプにいたく感動した。

「サッカーで人を感動させるようなプレーはできないけど、陸上だったら自分にもできるかもしれない」


帰り道、競技場を歩く僕に挨拶をしてくれる人が何人もいた。

きっと、陸上を辞めてもう会うこともない人だろうと思った。

その瞬間、急に寂しくなった。

陸上というコミュニティに属していて、陸上を介して繋がるたくさん人たち。

その人たち全てともう繋がれなくなると思うと、寂しくてたまらなくなった。


「記録じゃない。無様でもいい。陸上で繋がった人たちとまた会いたいから、陸上をやろう」

長居の競技場から帰る頃にはそう決心していた。

プレイする楽しみだけでなく、陸上というコミュニティに価値を感じたのだ。

そしてやるからには、観ている人に楽しんでもらえて感動を与えられる競技者を目指そうと思った。



後日、サッカー部のキャプテンに辞意を伝えた。

引き止められたが、心は決まっていた。



陸上の練習を再開した頃は、すぐ脚は攣るし、痛くなるしでガックリ凹んだが、高校時代の練習をベースに体を戻していった。


高校の時の記録で、全日本学生チャンピオンシップ(今の日本学生個人選手権)の標準を切っていることがわかった。

その時は試合の規模もよくわかっていなくて、夜行バスで当日朝入りした。

7時に平塚に着いてしまい、やることがないから競技場の階段で寝た。

今考えれば、全国大会に臨むテンションではない。

その試合が大学デビュー戦で、記録は14m98だった。

意外と跳べてよかった、くらいに思っていた。



その年の10月。

関西の学年別の大会に出場した。

ピットに立って風を待っていると、審判が黄色い旗を出してきた。

残り15秒のサインだが、当時は恥ずかしながらそれを知らず、「赤か白じゃないん?」とパニックになり、そのまま時間切れで赤い旗が上がった。

後にも先にもこれっきりの経験だ。

そんなトラブルもありながら、その後の跳躍で自己ベストを跳んだ。

2位で、優勝はシンジだった。

負けたけど、懐かしい感じに嬉しく思った。



試合からの帰り道、部活の先輩に結果を報告すると「全カレ標準切ってるやん」と言われたが、「全カレって何ですか?」と答えた。

どうやら大学最高峰の舞台に来年出られることが決まったらしかった。

サポートいただけたら嬉しくて三歩跳びます。