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【読書感想文】アーモンド



アーモンド  ソン・ウォンピョンさん作、矢島暁子さん訳


2020年本屋大賞の翻訳小説部門、第一位。話題の一冊。



この1週間で既に2回読んだ本。「どこにこんなにも心を動かされたんだ」を知りたくて知りたくて、すぐに2回目を読み始めた。そんな本。


そして分かった、わたしはこの本に叱られた気分だったんだ。弱みを明言された。わたしの弱いところに対して、私と違って真剣に向き合っている主人公の生き方に触れて、「お前はどうするんだよ」って言われた気がしたんだ。









主人公の男の子ユンジュは、偏桃体(アーモンド)が人より小さく、感情が分からない。「嬉しいって?」「悲しいって?」「怒るって?」「愛って?」そんな一つひとつの感情を、彼の母は繰り返し何度もユンジュに教えていく。15歳の誕生日、彼の祖母と母は通り魔によって襲われる。いつものように無表情なユンジュの目の前で。一人ぼっちになったユンジュは、彼とは正反対の激しい感情を持つ、ゴニという少年に出逢う。幼い頃に親と離れ離れになり、”問題児”とレッテルを貼られているゴニとの出逢いによって、ユンジュの世界が大きく変わっていく‥‥。






共感ってなんだ。




わたしは、ユンジュとは正反対の位置にいる人間だ。

嬉しいも、悲しいも、怒りも、そして愛も知ってる。と、少なくとも私は思っている。

そして、それを誰かが感じている時に、まるで自分が感じているかのように感じる感覚も知ってる。目の前の人が、転んでひざを擦りむいて、血を流していたら、わたしは痛い。これを書きながら想像するだけでもちょっと痛い。眉をしかめちゃう、意識して息を吸って吐きたくなる。





だから、ユンジュから見る世界は、わたしが見えているそれと全く違った。言葉を選ばずに言えば、「すごくおもしろかった」。



例えば、ユンジュの母が彼に感情について”教育”する、こんなシーンがある。


例えば、友達が新しい学用品やおもちゃを見せて説明するとき、その子たちが本当にしているのは説明ではなく”自慢”なんだと言った。母さんによると、そんなときの模範解答は、「いいなあ」で、それが意味する感情は、”羨ましさ”だった。



母さんは、「喜怒哀楽愛悪欲ゲーム」まで作った。母さんが状況を示して、僕が感情を当てるのだ。誰かから美味しい食べ物をもらったときに感じる感情は?正解は喜びと感謝。誰かに痛い目に遭わされたときに感じるのは?正解は怒り。


このシーンを読んで、

・目の前の状況:友達が新しい学用品やおもちゃを説明

・相手が抱いている(であろう)感情:自慢

・自分が抱く感情:うらやましい

これらをセットでほぼ同時に、そして自然にわたしは判断していたのだろうと気づいた。この発見はとてもおもしろかった。


そして同時に、わたしには「共感」をする能力があるのだなという事を改めて気付き、ふと思った。



共感する能力があるわたしは、なにをするんだ。



この能力をもったわたしは、どうするの?「共感」できるのに、「わかる」で終わらせていいの?ていうか本当に、「わかって」いるの??




「共感」するためには、自分の「感情」が必要だ。しかも、相手が抱いているのであろうものと、なるべく似ているもの、近しいもの。

その「共感」のために必要なものを一つも持っていないユンジュから見て、簡単に「共感」を言う人々は、こう見える。



遠ければ遠いでできることはないと言って背を向け、近ければ近いで恐怖と不安があまりに大きいといって誰も立ち上がらなかった。ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。


感じる、共感すると言うけれど、僕が思うに、それは本物ではなかった。


僕はそんなふうに生きたくはなかった。




すごくショックだった。

一番言わないで欲しいことを、言われたときの感覚。何も言えない。何か言葉を発しようとしたらきっと泣いちゃうから、黙ってることしかできないような、そんな感覚。


きっとそれは、分かっていたけど逃げてきた、自分の弱い部分をはっきりと言われたからだ。



自分とは全く違う風に世界を見ているユンジュに、「僕はそんな風に生きたくはなかった。」と言われて、すごくショックだった。わたしはユンジュから見て”そんな風”に生きている人の一人だと思ったから。



そして、この言葉を言われて、ユンジュの「感情」を分かろうと必死に向き合う姿勢を見て、それじゃあわたしは、”どんな風に生きたいんだろう”ってすごくすごく考えさせられた。





とあるシーンで、ユンジュが「感情を知りたい」とある大人に告げた時、その大人はこう言った。


「感情ってのは、ホントに皮肉なものなんだ。世の中が、君が思っていたのとはまったく違って見えるだろう。周りにある取るに足らないものを、自分に向けられた鋭い武器のように感じるかもしれないし、なんでもない表情や言葉が、刺みたいに突き刺さってくることもある。」



そう、そうなんだよね。

全部をさ、自分事として捉えてたらさ、もうほんとに心が持たないんだよね。でもさ、自分のこと以外ぜーーんぶ他人事だったら、それはそれで自分が嫌になっちゃうんだよね。そういう風に捉えてる自分と、自分以外の人が抱えている痛みに対して心が痛むんだよね。


だから、自分と他人の境界線。そこを上手く引くことがすごーーーーーく難しいなってひしひし感じている。




境界線をハッキリと、川を流すみたいに、”あっち側とこっち側”、”自分側と他人側”って分けることはきっと私にはできない。そんな自分にはなりたくない。





きっと私には、橋が架けられる。


その橋の強さや本数は、時によって変わるし、建設途中のものが洪水で流されて、架からないまま消えていく橋もあるかもしれない。架かりきってないまま渡ろうとして私が溺れてしまったり、たとえあっち側に行けたとしても何もできなくて迷惑をかけることもあるかもしれない。


でも、その橋を架けることへの姿勢はぜったい忘れたくないな。

どこに橋を架けるかは自分の自由だけど、架けたいと思った場所に、できるだけ多くの、そして強くて安心して渡れる橋を。自分一人じゃなくても、同じ気持ちを持った仲間と共に架ける橋を。そんな風に橋を架けられる人になりたいな。


分かるからこそ、分かっちゃうからこそ。そこから逃げないで。中途半端に「わかる」なんて言葉で終わらせない。


分からないユンジュが「知りたい」という強い意志で見つけていったみたいに、わたしも逃げずに「もっと知りたい、わかりたい」そして「自分ができる方法でなにかしたい」と思い続けられるような人でいようと思った。




自分の弱いところにグサっ。と言われた感じがしたから、1週間で2回読むほどの心の動きがあったんだろうな。感想文を書いてみて、自分の心に向き合えた、そんな気がした。





わからないなら、簡単にわかるなんて言わない。

わからないものをわかりたいなら、ちゃんと向き合おう。

わかるなら、なんかやろう。



なんだか覚悟を決めさせてくれたみたいな、そんな本だったな。

またお守り本がまた増えて嬉しい。



逃げたくないけど逃げだしそうなとき、また読むぞ。よしっ




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