推しとは何なのか【推し、燃ゆ 感想】

こんにちは、花坂もみじです。

先日芥川賞、直木賞の受賞作が発表されましたね。
今まで、アイドルや声優を推していた自分としては、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』がとても気になったので、早速kindleで購入して読みました。
という訳で、自分なりの解釈、感想を今回は書こうと思いますので、もし未読の方は作品の内容にも触れますので、ここで戻ることをお勧めします。
拙い内容になるかと思いますが、何卒ご了承ください。



『推し』とは

今回、なんの前情報も得ずに、タイトルの雰囲気だけで、何となく読み進めたのですが、読む前に抱いていた漠然としたイメージとは異なる内容でした。
『推し』という存在は、多くの方にとって生活を彩る、人生を肉づけるものだと思いますが、この作品の主人公『あかり』にとって、『推し』とは生きる理由そのものであり、人生に欠かせない物です。
なので、前者のエンターテイメントと消費者の話ではなく、自身の生きる理由とそれが炎上によって突然綻び始めた人のお話なのです。
そう書くと、恋人や家族や仲間や信念や宗教や仕事やお金等を失って、絶望し露頭に迷う主人公なんていう、語り尽くされた話に見えますが、それとの違いとしては、主人公のあかりがその生きる理由に対して直接的な行動が出来ない受け身な点だと思います。
あかりは勝手に推しを自らの生きる理由にし、勝手に裏切られ、勝手に傷つきます。
その事は勿論、推しは知る由もありませんし、あかりも伝えようとは思いません。
そして推しもまた、スキャンダルによる炎上から、メディアを介して誰かに向けて何かを伝えようとします(いわゆる匂わせだったり)が、それが何だったのかあかりには分からないのです。
推しの行動や発言から、推しを解釈することに心血を注いでいたのに、わからなくなってしまったのです。それによる変化と絶望を描いたのが、この作品だと私は解釈しました。
大小差はあるかと思いますが、エンターテイメントが溢れる現代において、誰しもがこうした喪失感を抱いたことがあると思います。
その受け取り手を主人公に昇華させたことが、この作品が評価された所以だと思いました。
そして、今まで生きる理由を与えられた続けてきた、受け身だったあかねが、自らの意思で生きる道を見出したことに、私たちは一抹の希望を感じられるのでは無いかと思います。

表現について

物語に関しては、先の内容で触れさせて頂きましたが、文章についても感じたことを書きたいと思います。
正直に言って、時系列、場面描写、会話のやり取り、常用しない表現等、読みづらい点が非常に多かったです。
なので、時間経過や場面を正しく理解するために読み直すことが何度かありました。
こういう書き方の方なのかと思ったのですが、作品の中で何度かあかりのブログが出てきまして、こちらはすんなりと読めました。
そこで、恐らく筆者は意図的にこの様な書き方をしているのではと思いました。
主人公のあかりは、作中で言及されていませんが精神疾患(恐らく発達障害の様なものと思われます)を患っており、それによって多くのコンプレックスや問題を抱えています。沢山のみんなと同じことが出来ないのです。
そして、物語は全てあかりの視点で進行します。
つまり、筆者は文章の構成を意図的に分かりづらくし、あかりの人間性をより表現しようとしたのかと思いました。
(この筆者の他の作品を読んでいないので、もし他も同じような雰囲気でしたら、すみません)
ただ、恐らく作中の多くの登場人物があかりに対して抱いていたであろう、モヤモヤするものがそこにはあったのではないかと思います。

まとめ

読んでいる最中は、正直あまり入り込める事もなく、ここからどう展開するんだろう、盛り上がるんだろうと、淡々と読み進めていましたが、最終的にはエンターテイメントの中に生きる理由を見出し、時には日常の苦しみや悩みから解放され、時にはそれによって苦しんで、そしていつか喪失感に打ちのめされて、それでも生きて行く現代の私たち自身の話だったのではと思います。
振り返れば振り返るほど、味のある作品なのでは無いかなと感じました。
素人の感想なので、大目に見て頂けますと幸いです。
機会があれば、宇佐見先生の別の作品も手に取ってみたいと思います。


余談ですが、"推"しと脊"椎"(背骨)って似てますよね。そんな言葉選びにもセンスを感じました。

それでは

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