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寂しさよりも、人と繋がるよろこびを

4月末のカウンセリングでの出来事。
もうセッションが終わろうかとした時、カウンセラーさんとのちょっとしたやりとりで、思わず涙ぐんだ。

カウンセリングに通い始めて約2年半。
つっかかることもありながらも、順調に生活できるようになってきたと思えていたのに、虚しさとも、悲しさとも、怒りとも、恐怖とも言い切れない大きな感情におそわれる。
満たされかけていた心が突然ひっくり返され、中身がすべて落ちていってしまったような空虚感。

辛い気持ちに身を任せて荒れたい。けれど、荒れ方が分からず、荒れたところで解決できるわけではない。この空虚感は、何をもってしても埋められないのだろうなぁと、絶望感も覚えた。

それでもゴールデンウィーク中は、山に行ったり、写真を撮ったり、苦しさを忘れるくらい楽しいこともあった。けれど、家に帰ると鉛のように体が重くなってしまい、結局自分が思うようには生きていけないのだという考えがよぎり、その度に泣いてしまった。

そんなこんなで、満足感と空虚感を行ったり来たりしながら時間は過ぎ、連休明けのカウンセリングの日になった。

いつものように部屋の椅子に座り、落ち着いたところで近況を尋ねられる。

振り出しに戻ってしまったような2週間だったと告げ、この期間の気づきを話す。

「期待に応えられなくても、そのままの私を受け入れてほしかった。」

私の話を聞き終えたカウンセラーさんはこう応えた。

「恐怖というよりも、寂しさを感じていたんですね。他の感情に気付けるようになって、初めて(カウンセリングに)いらした時に比べてとても落ち着いてますよ」

言われてみれば、確かに人が怖いと思わなくなっていることに気付かされる。

今残っているのは、寂しさだ。
恥ずかしながら、この寂しさを理解してもらいたいと必死だった。

寂しさを理解してもらうことはできないのかと、問う。
けれど、何度も質問しても、過去の寂しさは他の人には癒せないとのこと。

「自分が感じた過去の寂しさの大きさは、自分にしかわからない。その寂しさを、そのとき感じたまま受け止められるのは、自分1人だけ。自分しか癒してあげることができない。だから、寂しさの矢印を、外じゃなくて自分に向き合わせないと。」

憑き物が落ちたというか。
私の寂しさは、私が向き合ってあげないといけない。
矢印を自分に向き合わせないといけないんだと、情けないことに、この期に及んで悟った。


最初はその寂しさを、受け止めてあげればいい。埋めようとしなくていい。

人の心は無限大ではなく、寂しさでいっぱいの時は、他の感情は入って来れなくなるそうだ。
それなら、寂しさで心をいっぱいにするより、人と一緒に楽しい気持ちでいっぱいにするほうがいい。森のにおいや湖の音で、安らぎを感じるほうがいい。

寂しさよりも、人と繋がるよろこびを。
過去や未来よりも、今を。
五感を使って、今を感じとることに集中する。

またぶりかえすこともあるかもしれない。それでも、次はきっと大丈夫と信じて。寂しさがやってきたら、抱きとめよう。

※写真はカウンセリングの帰り道にて。普段は電車だけれど、落雷により運転見合わせに。この日は徒歩で帰宅。雨の後は気持ちがいい。

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