改めて、「休む」とは
8月頭のこと。職場の先輩が小さなZINEを貸してくれた。
タイトルは「#休職」。
手描きのイラストに、手書きの文字でタイトルが書かれたそのZINEは、文庫本サイズだけれども紙はしっかりとしていて厚みがある。そして何より文字が小さく、わりとぎっしり詰まっている。
そんなZINEなので、読むのには時間がかかりそうだとおもいながら、ペラペラとめくる。すると、運動直後の体にスポーツドリンクが沁み渡るように、言葉がスルスルと体の中に入っていった。
一年間の休職明けに、沁みる内容ばかりだった。
まだまだ焦りが抜けてないなぁ…と自覚。
そのZINEについてネットで調べてみると、ちょうど週末に作者のイベントを発見し、急遽申し込んだ。
ひさびさに、まったく知らない人たちが集う場所に行く。楽しみな気持ち半分、緊張半分で会場へ。
結果、いろいろな気づきを得ることができた。
たとえば、
「深い休み」から「浅い休み」まで、「休む」にもレイヤーがある。
最高の労りは、思う存分寝ること。自分が「休まった〜!」ってなるまで、休む。(←今の私たちって、休みにおいてもけっこう時間で区切りがち…。「休憩30分経った!よし動こう!」みたいな)
身体をゆるめることは、休むうえで大事。
時間を気にせず、自分の好きなことをやる。
時間を気にせず、自分の気持ちを書きだす時間をもつ。
「休む」ということは、頼れる人を探す旅でもある。
意識的に休むために、元気な時にあらかじめ「自分が喜ぶことリスト」をつくっておく(元気なときに)。
考えてみれば、当たり前かもしれない。
でも、当たり前ができていなかったからこそ、疲れちゃったんだなぁと、納得がいく。
働き方・生き方に、但し書きを。
休んで、よかった。
こんなことを言っていいのかと、とても迷ったけれど、休んだことに後悔はない。
コーヒーミルのハンドルバンドをつくったり、ぬいぐるみのための帽子をつくったりと、しょうもない自分のための時間を持てたことは幸せだったと、休職を振り返って思う。
「他者のために動く」というものが、日本の仕事観の根底にあると思う。
それはそれで大切なことだけれど、「お互い”ちょっと”無理をする」が、「お互い無理をして」成立させる、が当たり前になってしまっているように感じる。
でも、それだと自分が疲れてしまうのは当たり前で、家族や友人の話もゆっくり聞けず、ぎすぎすしてしまって、結果として、大切な人たちと自分を傷つけてしまう。
だからこそ、「他の人のために動く。けれど、お互い無理をしない」と、但し書きを追加する必要がある気がする。
今の日本は、「無理をして」働かないと居場所がないと感じやすく、休んでいて孤独を感じても、その寂しさは「我慢」しなくてはいけないと思いやすい社会だと思う。でも、それはとても息苦しいことだ。
人は一人では生きていけない。だからこそ、大なり小なり、いろんな形で協力しあって生きている。でも、常に人のために動けるわけではない。
休職経験者として、そしてもうゴリゴリ働けない当事者として(おそらく)、「人は休む生きもの」を前提とした、他者との関係性のあり方を模索していきたい。
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