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90歳の女バーテンダー

私には、年の離れた呑み友達がいる。

「今度の12月で、わたし90歳になるのよー」って
この間、受話器の向こうで愉快そうに笑っていた。
「じゃあ、盛大にお祝いしなくちゃ!」
それまでにコロナ騒動が落ち着いているといいけど。。。
しばらくは会いに行けそうもないから、彼女との友情を綴っておこうと思う。

出会いは、もう6年ほど前。
一時私は、リフォームの仕事をしているときがあって、
彼女の自宅のお風呂の改修工事を担当したことがきっかけだ。
会社に行きたくなかった私は、現場チェックという名目で、
毎日毎日、彼女の家を訪問しては、お茶をいただいて
何時間もサボっていた。
お風呂が完成するのと同じくして、私はその仕事を辞めたのだが、
それからは個人的に、しょっちゅう彼女の家にお邪魔して話し込み、
日が暮れたら、一緒に呑んでごはんを食べた。

戦後の新宿で、女バーテンダーとして働いてきた彼女。
「ウイスキー」が、「ウヰスキー」と表記されていた時代だ。
それ以来ずっと、飲食の世界、一筋。
お客様に最高のサービスを提供しながら生きてきて、
最後は有楽町の小料理屋を切り盛りし、引退した。

いまはお独りで(いや、ぬいぐるみのうさぎちゃんと一緒に)
穏やかに暮らしている。

彼女の家に遊びに行くと、いつも、
私はずっとテレビの前に座って、
ただお酒を飲んで、目の前に運ばれる絶品の料理を
「美味しい!美味しい!」と食べる。
失礼極まりない、贅沢なひととき。
だって手伝おうとキッチンに入ると、たしなめられるのだ。
「いいから座ってゆっくりして!」と。
足や腰が悪いので、立ち上がるのも痛そうなんだけど、
それでも、手伝わせてくれない。
それが、彼女のプライドみたいだ。

ある日のおしながき。

宮城から取り寄せた海の幸の前菜、
お刺身の盛り合わせ
前日から仕込んだお煮しめ、
季節野菜のお浸し
身がふっくらした焼き鮭と鬼おろし、
旬が香る炊き込みご飯、具材たっぷりの豚汁……
そして、
新潟の酒蔵から届いた純米吟醸酒。

どれだけの時間と手間をかけてくれたんだろう。。。
ふとカレンダーを見ると、今日の日付に、
私の名前がマジックで大きく書かれている。
宴会の予約じゃないんだから…笑

「お酒を飲みたいけど一人じゃなんだかね、お友達も全然飲まなくなっちゃったし。あなたとだったら気兼ねなく呑めるから」
と、お互いニコニコしながら日本酒をすすり、何時間も語り合う。

話題は尽きない。
美味しい銘酒の話、築地のおすすめの魚屋、知る人ぞ知る老舗の話、
戦後の新宿のバーでの恋の話、
死ぬまでに一度は見たほうがいい地方のお祭りの話…
表参道のパンケーキの話が出てきたときには驚いた。
彼女の話は、いつも楽しくてためになる。
チャーミングで、ユニークで、そして微量の毒が隠し味だ。

常識ではありえないほど、勝手に遠慮なく、
一升瓶をけっこう呑んで自由に酔っ払う。
そんな無礼者の私をあたたかく受け止めてくれる場所は、
なんだかとても居心地が良い。
それは、彼女のつくりだす空間のせいなのだと思う。
彼女が大切にしてきた、おもてなしの精神を感じる瞬間だ。

二人で遊びにも行く。
築地に買い物に行ったり、京橋を散歩して寿司を食べたり、
四ツ谷三丁目の高級料亭に連れて行ってもらったり、
新宿三丁目の焼き鳥屋さんを紹介してもらったり。
二人で歌舞伎も見に行って、色々教えてもらったりもした。
次は、神楽坂の居酒屋に一緒に行こう、
と約束をしている。
一日も早く、約束が果たせるようになりますように。

彼女との関係は不思議で、
確かに年齢差もあるから、体力的な衰えはあるけれども、
お年寄り扱いはしたくない。
何か?と問われれば、やはり「呑み友達」だ。
夜の街を、二人でゆっくりゆっくり歩きながら、話しながら、
ワクワクする時間を共に楽しんでいる。

久しぶりの電話を切る間際に、彼女は言った。

「今日はあなたからの連絡があったから、本当に良い日。あなたのおかげで楽しかった。心がとっても晴れやかになりましたよ、ありがとう。身体に気を付けて、またいらっしゃいね。待ってるからずっと。絶対ね」

なんという、ありがたい言葉だろうか。
こんな心のこもった「またのお越しをお待ちしております」は、
他に聞いたことがない。
またすぐに行きたくなってしまう。
会いたくなってしまう。大好きになってしまう。

世の中が大変なことになっているこの時期。
毛布をふんわりかけてくれるような言葉を、
実にさりげなく、贈り物みたいに届けることができる人。

私もいつか、こんなカッコいい人になりたいと思う。

彼女は、まぎれもなく、おもてなしの達人。
シェイカーはもう振らないが、
90歳にして、まだまだ現役のバーテンダー。
サービスの真髄を極めたプロフェッショナルだ。

卒寿の誕生日。彼女にそう伝えてみよう。
目がなくなっちゃうぐらいにクシャとした顔を見せて
「そんなことないわよー」って、大声で笑ってくれるだろうか。

大好きな彼女に、私からも、温かな毛布をかけてあげたいのだ。



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