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リビング・イン・ニア・トーキョー #23

 「伝えたいことなど とっくのとうにない」
 「錯覚起こしてる ただそれだけなんだよ」

 書きたいことが全然まとまらないとき、いつも、きのこ帝国の「海と花束」の歌い出しが頭をよぎります。そうなのかもしれないなと、思うこともあります。お前は、別に必要もないし、求められているわけでもないのに、何かを無理して作り上げようとしてるだけなんだよと、頭の中にいる佐藤に言われる。
 このnoteを書き始めた意味の一つが、自分を救うために物語を紡ぐことなのだとしたら、このnoteはもはや空島のポーネグリフのように、「役目を果たしている」のかもしれない。そう感じることもあります。

 それでもこうやって年の瀬にぽちぽちと文字を打ち込んでいるのは、まだこれがひょっとしたらいつかどこかで自分の役に立つのかもしれないという欲が5割と、期間が空いてもこのnoteを継続して見てくださっている方々への感謝が4割と、いずれこれが知らない誰かの目に届いて誰かへの気づきをもたらすのかもしれないという不思議な期待が1割と、です。

 29年生きてきて、来年が30年目で、いまが一番心が満たされているという確信があります。12月にこんなふうに思ったことは今まで1度たりともありませんでした。

 ちょっと前までは「いま死んだって問題ないな」と思う日々を生きていました。それは、6年前にひとつの人生の目標が「達成」され、3年前にひとりの親友が死んだときから、ずっと心の底に沸々と沸いていて、昨年一気に膨れ上がった感情でした。これ以上人生においてやることはない。やったとして自分の幸せの最高値が更新されるとも思えない。という枯れ木のような心情から来るものでした。
 いまは、明日を迎えるのが楽しみで仕方がありません。明日が来ないかもしれないことが寂しくて仕方がありません。自分の幸せの最高値が日々更新されていくのだ、という確信があるからです。でも、明日が来ないかもしれないことも知っています。確かなものは何もない。だから、「いま死んだって問題ないなと思えるように毎日を過ごそう」という心情になっています。ドラマみたい。不思議なもんですね。でも人生ってドラマでいいんだなって最近は思う。

 でも、この今のドラマみたいな心情は、きっと自分にしか理解できないのだろうなと思うときがありますし、自分だけ理解できているならそれでいいのかなとすら思うときもあります。伝えることに意味はないんじゃないか、とも。「役目を果たした」というのはつまりそういうことなのですが、それにしてもずいぶん自分勝手な変化じゃないかと思ったりもします。そういうコンセプトではあったんですけど、それにしてもねぇ。

 それでもこうやって年の瀬にぽちぽちと文字を打ち込んでいるのは以下略


 サカナクションは、いつも「東京」に対する思いを歌にするときに、どこか物悲しさというか、焦燥感というか、ノスタルジーというか、でも行かなきゃ絶対体感できないような、そんな感情をバチボコにぶち込んでくるなと思います。高校生から大学生にかけて、一番「東京」に憧れやら劣等感やらを抱いていた時期の自分にはそりゃもうこの時期のサカナクションはバチボコに刺さりまくりで、バンドやってたこともあって、ああ東京行きてえなあ、やべえなあとずっと思っていたものです。当時ネットに書いてた日記っていうのがあって、読み返してみたら「自分たちが満員の渋谷AXでライブしてる姿を思い描いている」って書いていたよ。やべえやつだ。

 実際来てみた東京は、僕の目にはどう写っているでしょう。と言っても、ぼくのそれはニア・トーキョーだし、サカナクションの山口さんが見ている「東京」とはまた全然違う姿のそれを見ているのだろうなと思っています。かつて夢見ていた「東京」とは同じであるはずなのにまるでパラレルワールドのようにぼくの目に写るニア・トーキョーでの暮らしは、もうすぐ1年になります。


 最後に、

「私とは、私と私の環境である。そしてもしその環境を救えないなら、私をも救えない。」

 オルテガ・イ・ガセットの言葉。好きなんです。
 私の環境たる私が、今までとはまた違うベクトルに広がっていくのを感じた1年でした。それを自分で選び取れたような気がする、というのが今年のハイライトです。まあ、それも錯覚で、本質的に言えば元々私だったものかもしれないが。どこまで私を救えるのかは、まだまだこれからだと思います。ああ、そう思えるなら、まだこのnoteも存在する意味があるのかもしれないな。と打ちながら考えています。

 書くことがあるとしたら、今やっている仕事のことだろうか。少しずつnoteとリンクさせていきたいのですが、難しいですね。っていつも書いている気がします。まあ、頃合いを見てということで。
 またしばらくノー更新デーが続いてしまうかもしれませんが、ご了承ください。

 良いお年を。

(2021字)

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