ファイトクラブ
肋骨が折れた。
いや、ファイトのせいではなくて、咳のし過ぎで。
家族から巡ってきた風邪が思いのほか長引き、そもそも気管支弱めのためそのまま咳喘息へ。2週間近く激しく咳き込み続けたら、ピキッと逝ってしまいまった…
人生初の骨折。しかも原因は、やんちゃ要素ゼロの「咳」。
なんだかなー。どういうことかな。この出来事のメッセージは?なんて今までの私はよく悩んでいたのだけど、なんかもう、そいういう解釈もやめてみようかな、と今回思った。
私は(そして誰しもが)、言いたいことを溜め込む性格だし、寂しさを我慢してきたし、怒りも溜めてきてる。あんなに狂ったように止まらない咳は、そんな未消化な感情の叫び、なのかもしれない。
でもそれを、私のちっせえ顕在意識で ああでもないこうでもないと考えたって、たいして的を射た結論には達しないと思うのだ。いや、達するかもしれないけど、ま、それはそれ。溜まってたとしたら、だからこそ咳で出てるんだろうし、それでええじゃないか、という感じ。投げやりではなくてね。
何でもかんでも、解決しよう、理解しよう、意味を見つけようとすることに、ちょっと距離をとりたくなったのだ。
肋骨はもろに呼吸と連動しているので、大好きな深呼吸や瞑想もできない。ならそれも止めてみよう。
もう全部、起こるがまま、あるがまま。
世間的な評価とか、効率性とか、存在価値とか、そんなんも一切関係なく
わからないことだらけ
できないことだらけ
うまくいかないことだらけの
この状態が、私にとってのカンペキなんだと思う。
風邪ひいたことも
日常に不平タラタラなのも
間抜けな理由で骨折するのも
全部全部、私の頭では到底理解できないくらい森羅万象全ての条件が揃わないと起こらない唯一無二の完璧な流れであり、それ以外はあり得ない。
そして起こっている出来事一つ一つには、本来意味なんてなくて、人間のちっぽけな物差しで良いだ悪いだ言うたとて、その厳然たる真実性の前では1ミリも太刀打ちできなくて。
もうそこは、ビッチビチのミッチミチにゆるぎようがない真実で。
骨折ハイなのかなんなのかとにかく、そんなこの世の壮大で緻密な仕組みの前に感動しきりのアブナイ奴と化して、ただ痛みと目の前の日常を「うへー」とか「ほー」と言いながら過ごしています。
んで、暇つぶしにみたファイトクラブがめっちゃオモロかった(唐突)
タイトル通りバチボコに殴り合うシーンのオンパレードだけど、なぜか気持ちよさそうで。
私は痛いの本当に苦手で、「痛み」自体を当たり前に「良くないこと」「嫌なこと」と思って避けてきたけど、もしかしたら違うのかも。
いや、痛いのイヤだけど笑。
でも、今回の骨折で思ったのだ。
最初は本当に、ちょっと深呼吸するだけで激痛が走るのが嫌で嫌で、うざくて、ムカついて。いちいちビクビクしながら動いたり、ツイてないなってウツウツとしていたけれど。
あれ?ちょっと待てよ。痛いからって、嫌な気分でずっと過ごす必要ないな、って。
別に痛いまま動いたっていいし、痛いまま笑ったっていい。痛いけど、めっちゃ痛いけど。でも痛さは痛さでしかない。不幸ではない。
ちょっと話を極端にしすぎたけど要は、痛み・病気・怪我・不幸など世の中的にマイナスと認識されることでも、実はそこまで嫌なことじゃないかもな、ってことです。「嫌なこと」「怖いこと」って言うイメージが先走って、無意識のうちに問答無用で「嫌な気分」設定を自分にセットしちゃってる可能性もあるんじゃないかと。
とはいえもちろん安静にしてますけど笑
今までの意味づけや解釈からちょと距離を置いて、ニュートラルに、このイケてない日常を愛しんで生きてみようと思う今日この頃です。
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