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今日も私は大人になれなかった。

悔しいことがあったら、忘れる前に文字にしておくと決めている。
お先に断っておくと、私は懲りずにいつも同じことで悩むので、私のことをよく知ってくれている人は なんだまたそんなことか と思うかもしれないね。


ネガティブの再生産機になりたくないな、と思う。

「そうは言ってもしょうがないよね」とまとめられるのが怖くて、自分で強引にセリフを吐いて逃げることもある。そもそも言い出せないことがすごい増えた。良くないとわかっていながら、人間関係構築にビビって生きている。(これが胃痛の原因では?)

大阪に来て1年半。
今のバイト先はけっこう好きだ。
文字通り多様な人がいる都会というか、大阪という街なのかわからないけど、そんなコミュニティだと思う。
国籍とか人種とか性別とか社会的地位とか肩書きとか、髪の色とか容姿とかピアスホールの数とかに従って評価がされることのない社会だ。
でもそれは、そういうラベルで評価される社会と表裏一体なのだろうな、とも思う。
今まで生きてきたどんな場所よりも、より近く、社会との世界との接点であるし、労働環境的にも気になることがあるし、私がそういう問題をキャッチする感覚をキープできる場という意味でも、好きだ。


***

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、3月から少しづつ少しづつシフトは削られ、4月に入って少しして「明日からしばらく来なくていいよ」と言われた。緊急事態宣言も出た。"お店はしばらくお休みかな、しょうがないな”と思った。学費が払えなくなるな、生活費がなくなるな、非正規雇用労働者に容赦ないな、とも思った。今となってはもう遅いけど、コロナが流行り始めた頃から、マスクを着けて接客するのはダメだとか、国のピンチこそみんなの頑張りどきだ!なんていう根性論を押し付けられて、訳わからない状況だったなとも思う。
それからしばらくして「お店がいつ再開できるか分からないので、全員解散する」という趣旨のことを言われた。解雇された、と認識していた。実際、小さな個人店なので、大きな資金がないことも、先が見えない中で苦しい判断だったことも理解していた。


流行が落ち着いたと思われていた頃、何食わぬ顔でお店は再開した。
従業員の9割はそのまま再雇用され「自粛期間何してたー?」なんて会話で盛り上がった。

事実上の休業期間であった2ヶ月半に一銭も手当てがもらえなかったことも、今日付で解散すると言われたことが不当解雇に値して30日分以上の給与が支払われるはずだったということも、国からの雇用調整助成金でなんで誰一人従業員を守れなかったのかということも、おかしいと思ったのは後からで、自分のぬるさにも、お店の杜撰さにも本当に腹が立つ。

そういう小さい企業のための緊急支援策が、細々と公から提示されているのに、あと一筆サインをもらうだけの状態にまで準備をしたのに、それにすらすがらせてもらえない、会社に不都合だからサインはできないという態度そのものが悲しくて、悔しくて、やるせない気持ちでいっぱいだ。

と、ここまでは、コロナの被害者である良くある従業員と企業のお話。
この状況下で、社会の大きなトラブルの影響下で会社だけを責められないことは分かってはいる。

でも、今日私が「私は本当に社会に適合できない人間だな」と思うに至ったのは別の話。

「そもそも〈働いた時間の分、給料をもらう〉というルールなのに、働いていない期間に対してお金をくれというのはわがままじゃない?」

私に対して向けてる言葉じゃないと前置きをしつつも、好きな時に休みを取れて、学業の傍で働くだけの自由の身の学生バイトに、50代男性の店長が言った。

ショックだった。今もショックだ。多方面で、いろんな意味で、悔しくて、なんて返せばいいか分からなかった。ホワイトボードを引っ張ってきて、一から説明したいと思った。


「働くこと」は、「お金」との物々交換なのか。
従業員はモノなのか。
好きなことをしていたら公平に扱われなくてもしょうがないのか。
自分の意思に反して、働けない人が大勢いることが想像できないのか。
自己都合ではなく、社会の都合であることは全く違うことが分からないのか。

話せる言語が違う人、障害がある人、体調が悪い人、子どもを産まなくてはならない人、子ども育てることに時間を割かなくてはならない人、もっともっといる。
そういう人に自分がたまたま当てはまらないだけなのに、どうしてそれを自分の力だと思い込んでしまうのか。

「日本社会」からちょっと距離をとっていて、私たちの外から見えるラベルで勝手に判断して話が進むことのない社会だっただけに、悲しい。

私はこれまで、そういう構造的に不利益を被る人たちを比較的積極的に目にして考えて文字にしてきた人間だと思っているし、構造的に不利益を被ることをなくすために時間がかかるけれど私ができることをつくろうとして、今ここにいる。
それなのに、なんでこんな目の前の構造的な暴力をただ黙って受けるしかできないんだろうか。

「もしあなたに手当てを出したら、サインをしたら、みんなにも同じことをしなきゃならないでしょ」

全くその通りだ。
なんで気づいて、おかしいと言った私が、〈我慢のできない融通の効かない子〉になっているのか。
なんで重さも心もない言葉にいちいち傷ついてしまって、流せないのか。
なんで私は全コミュニティで「おかしい」に気づいてしまうのか。
なんで私は大人しく母が期待するような新卒3年目の24歳女性になれていないのか。


大学院はそんな社会からはじき飛ばされる24歳が存在していていい居場所です。
いろんな角度で社会のレールにスッと入り込めなかった人がいる場所だから、それぞれ目標も違ってもいいんだなと思った夏だった。


涙目になりながら電車に乗って家に帰ってきても、当たり前に誰も解決してくれない。解決の仕方すら自分でググらなくちゃいけない。誰も教えてくれない。当然。大人ってそういうことなのかな。寂しいものだな。


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P.S.

相談したら、簡単に 辞めちゃいなそんなとこ と言わなくて、こういう窓口に、こういう相談を。忙しくなかったら一緒に行ってあげたいよ。と言ってくれる人がいた。よかった。

自分の運が悪いとか、気づくことが悪いと思っちゃだめだよ。と。

肯定されたくてたまらない と思いながらギリギリ生きています。