"たった半年"
今から半年前、私はまだ高校生です
ここで、簡単に自己紹介をさせていただきます。
私は、平成14.0703生まれのごく普通の女の子です
4歳から中学3年生まで少林寺拳法
小学生3年生から中学の部活動でソフトテニス
高校の部活動ではレスリングをしていました
本当にスポーツしか興味のない女子でした。
将来の夢は競艇選手(ボートレーサー)
初めて競艇場に両親に連れてってもらった時に
"私はこれしか将来考えられない"とビビっときました
目標が達成するまで何事も諦めができない私は
自分で決めた目標は必ず叶えてきたため
倍率40倍の世界。ボートレーサー養成所への合格を決めました。
それが、今年の1月です。
合格通知が来た時には嬉しくて家族みんなで泣きました。
2月23日
レスリングの後輩指導のため練習参加中に
私より30キロ重い選手とスパーリングをしていると
膝を脱臼してしまいました。
足の方向が変わって、頭が真っ白になりました。
救急車で運ばれた後、麻酔をして目が覚めると足は元の形に戻っていましたが経過入院となり、
夜担当医からの説明では
"ボートレーサーは諦めたほうがいい"と言われ
泣きたい感情より、冗談だろ?って笑いが出てきちゃいました
たった数時間の間に何が起きたのか頭の中で整理することが出来ませんでした。
何日もかけて悩んだ結果、ボートレーサーという夢を諦めれなかった私は
入校までの1ヶ月、リハビリに専念し
"ここで頑張らなければ自分は終わってしまう"
と言い聞かせながら、泣く暇もなく
努力し続けました。
ボートレーサー養成所へ入校した初日から、
自分が想像していたより過酷な訓練が待っていました。
足は毎日腫れ、みんなに迷惑かけてほんとにごめんなさい
毎晩、"私が選手になって、膝も完全に治ってるわけじゃない人にお客さんに期待してもらえるレースができるのか"
"膝がもう1度外れる恐怖"
そればかりを考えて、自分はレーサーになるべき膝ではないと判断し、自主退所させていただきました。
帰省した後は
自分の心はぽっかり穴が空いてしまい、
ネガティブな考えしかできなくなってしまいました
そんな時でも、周りに笑顔しか出来なくて
全然大丈夫だよって言葉しか出せなくて
本当は心で辛いんだよってことが言えなくて
そんな時に唯一、弱音を吐いていたのが
当時お付き合いさせていただいてた人です。
ボートを辞めた辛さを自分の中で認めることができず
それは隠したまま他のこと対してネガティブな事ばかりを発言しても
大丈夫だよなどの優しい言葉をかけてくれてたため
頼りすぎてしまっていた私は相手に迷惑をかけてしまい
話し合った結果別れることになりました。
今考えると、本当に迷惑をかけていたなって思います。
相手は大学生で自分の事でも忙しいのに、私はネガティブな言葉しかかけてあげることが出来ずに最低な彼女だったなって思います。彼には本当に幸せになってほしいです。
その後はほんとにあんまり記憶がないのですが
本当に荒れていました。
昼夜逆転生活をし、お昼寝て、夜遊びに行って
ただただ、現実から逃げたい
そればかりを考えていました。
そんな日々を過ごしていましたが
膝の外れることき対して恐怖はあったため手術することを決めました。
紹介で、良き医者を紹介していただき
兵庫県で手術をしてもらいました。
入院期間、リハ室で、バレー選手やサッカー選手
ハンドボール選手たくさんの選手と交流し
同じスポーツ選手としてとても楽しい時間でした。
しかし、病室に帰り1人になると
楽しかった頃、何でこんなことになったのか
今まで逃げていたことを立ち向かう時間でした。
自分の心と葛藤して、泣いた日も何日もあって、
寝れない夜もありました。
精神状態があまり良くなく、体調を崩すことも。
でも、そんな時に周りの人達が、相談乗ってくれて
少しずつ気持ちが軽くなっていきました。
入院して現在2ヶ月が経ち
少しずつですが、成長していると思います
これからもリハビリを頑張って、
少しずつ将来も考えて行きたいと思えるようになりました。
たった半年間で
こんなに喜怒哀楽の激しい期間を過ごすなんて
思ってもいませんでした。
ですが、人生はバネのように今はしずんだときで
それをどこまで飛ばすことができるのかは
これからの成長だと思っています!
この経験をいかして、必ず半年前より
成長した自分になりたいと思います