すべてわかってくれていた「はな」
夫と富山に引っ越した5か月後、犬を飼い始めた。
生後3か月、毛色はレッド、おでこにはクリーム色の斑点が2つあり、なんともかわいらしいオスのミニチュアダックスフンドだった。家族として迎え入れ、「はなお(愛称:はな)」と名付けた。
はなは我が家に来て1週間も経たないうちに体調が悪くなり嘔吐を繰り返し、ご飯も食べなくなった。動物病院に連れていくと、そのまま入院することになった。パルボウィルスが原因だった。ペットショップの店員さんから、他の犬と交換することも提案していただいたけれど、生存確率が1割以下であることがわかっていても、私と夫ははなが我が家に帰ってくることを信じて待った。
しばらくして動物病院から、はながパルボウイルスに打ち勝ち元気になって退院できると連絡があり、私たちは飛び上がって喜んだ。奇跡だと思った。
それから17年、はなと私たちは一緒に暮らした。
はなとはたくさんの思い出がある。
娘が誕生し初めて家に連れてきたとき、はなはベビーチェアの周りをクルクル回ったり、近くの椅子に飛び乗りベビーチェアの中の娘を覗き込んだりして、娘に興味津々だった。娘がハイハイするようになってもいたずらや傷つけることは全くせず、娘のそばに寄り添っていた。
私が外出から帰ってくると扉のすぐそばで待っていた。寝るときには布団の中に潜り込み、体の一部を私の体にそっとくっつけて寝ていた。その姿はなんとも愛しかった。
はなが14歳の時には肝細胞がんが見つかり大手術を受け、しばらくの間狂暴になったこともあった。16歳の時には椎間板ヘルニアで突然腰が立たなくなり、身動きが取れなくなったが、懸命に前足を動かしながら移動し、そのうちに後ろ脚もすこしずつ動くようになり、ゆっくりと自力で歩くようになった。
老犬になったはなは、白内障で目は見えなくなり、耳は聞こえづらくなっていたが、嗅覚だけを頼りに懸命に生きていた。17歳の時には歯周病の手術をし、高齢だったにもかかわらず術後の経過は良く、私たち家族も安心した。その時かかりつけの動物病院では、そこに通っている高齢犬のスナップ写真が飾られていて、はなもその仲間に入れてもらうことになり、飼い主としてとても誇らしく嬉しかった。
しかしその1か月後、家族が外出中、扉がしっかり閉まっていなかったため目の不自由なはなは階段から転げ落ち、そのまま天国に行ってしまった。家族みな悔やんでも悔やみきれなかったが、最期は17年間一緒に過ごしてくれたはなへ感謝の気持ちでいっぱいだった。
*
今でもふと、わたしをじっと見つめているはなの姿を思い出す。
夫婦けんかをして、わかり合えないことがもどかしく腹立たしく、悲しくて涙を流していたときや、むすめのグズりにイライラして怒ったときやそのことを後悔していたとき、仕事を終えクタクタになって家に帰り、キッチンの床に座り込んでいたとき、いつもはなは私をじっと見つめていた。
なにも言わないけれどその視線は、私の気持ちをすべて分かっていてくれるような気がした。はなと目が合うと頑なな気持ちが緩んだ。
*
以前、私が慕っている方からこんなことを教わった。
「相手の話を聴くときは、自分を空っぽにして聴くんだよ。」
初めて聞いたときはどういう意味なのか掴めなかった。ましてや自分を空っぽにしてしまったら会話が成立しないんじゃないかと思った。でもこれは頭で考えていても分からない。誰かと話をする機会にお試し感覚でやってみようと思っていた。
いつものようにむすめと会話をしていると、
「あっ、自分を空っぽにしてみよう。」
と思い出し、空っぽママになって話を聴いてみた。むすめが話している最中、「それはー・・・」と言い出しそうになったけれど、その気持ちは一旦横に置き、空っぽママに切り替える。
そのうち私の中でいつもと違う感覚を味わうようになっていた。知っているようで知らなかったむすめの気持ちや考えを知ることができて嬉しかったし、もっと知りたくなった。話の最後には「ママ、ありがとう。なんかスッキリした!」なんて言ってくれてさらに嬉しくなった。
わたしもそう。話をしていて途中で口を挟まれると話す気がなくなってしまうし、押しつけられたような気になってしまう。自分が間違っているような気にもなってしまって、悩みの種になることもある。
振り返れば、むすめの話を聴いているようで聴いてなかったな。空っぽママじゃなく、吠えるママでした。むすめには心の中で「ごめんね。」と謝って、「自分を空っぽに」を心がけていきます。
見つめる大先輩、はなの姿を思い出しながら。
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