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中学の同窓会に行ったら誰も私のクラスを知らなかった【完】

前回の更新からだいぶ月日が経ってしまいました。
仕事が忙しくなりなかなかnoteにこられずにいました。
今回で完結です。

同窓会後は友達が家に泊まりに来たのでテレビを観たりゲームをしたりして過ごしましたが頭の中にはずっと「私って誰の思い出にもいないのかもしれない」ということが残っていました。

大事なのは現在だとするのならば、私には家族がいるし友達がいるし職場がある。なんとも満たされていると感じている。
でも、じゃあ、過去にあったことは大事ではないのかと聞かれたらそういうわけでもない気がする。

悶々としながら、その数週間後に同窓会に来られなかった中学時代の友達と前々から約束していたイベントに一緒に行った。
イベントに向かうまでの待ち時間、スタバに入ってまったり過ごしているときに、私から同窓会の話を振った。
どうせなら笑い話として消化させようと思って例の誰にもクラスを覚えてもらってなかったかもエピソードを披露した。
深刻な感じではなくフラットに。
すると、その友達はきょとんとした顔をして

「え?てか私は覚えてるよ。違うクラスだったから余計なのかな?積木ちゃんと漫画とかCDの貸し借りでよく教室行ってたから」

普通自分と同じかそうでないかくらい覚えてない?と私の笑い話を、全く笑わずに怒ってくれた。

なんだかそのことがとても嬉しくて、私はそれだけで満たされたような気持になった。

と、ここで完結しておけばちょっといい話風になるのだが、私は調子に乗ってしまった。

偶然とは重なるもので、今まで疎遠だった中学時代一番仲の良かった友達と一緒にお互いの好きな俳優さんが出てる映画をひょんなことから観に行くことになった。
ちなみにその子も同窓会には参加していなかったので、ランチにパスタを食べているときに何の気なしに「そういえば同窓会行ったの?」と向こうから聞かれたので私はついまた同じエピソードを披露した。

その前に会った友達との会話が頭に残っていたからか、さすがにこの子は私のクラスはわかるだろうと思って
「ちなみに私がどのクラスだったか覚えている?」と聞いてみた。

すると、

「えー…ごめんわかんない。〇クラスだったっけ?」

普通に、笑いながらそう言われたときに、私は胸に鉛でもできたのかというくらい何も言えなくなった。
違う。私は×クラスで、同じクラスだったじゃないか。修学旅行も一緒の班だったし、給食も毎日一緒に食べてた。

自分で振った話題だったのに、私はそこからの記憶が正直あまりない。映画にも集中できなかった。

そのくらい、その子にだけは言われたくなかったんだと、後から気付いた。その子には覚えててほしかったんだ。

私だって、中学生時代のことなんてほとんど記憶にない。それでも、今でも思い出せることだってあるのだ。鮮明ではないのかもしれないけど、朧気だっていいじゃないか。

今まで疎遠だったとこから連絡をとって一緒に映画を観に行くまでに至れたから少しだけ期待していたのかもしれない。

私の心の器の小ささには定評があるが、一度だめなんだと思ったらすぐにシャットアウトしてしまう癖がある。その子とはそれきり連絡をとっていない。向こうからも来ないからお互い様なのかもしれないが。

ここまで書いていると、私のクラスを覚えていてくれた唯一の友達ってすごいんだなと改めて思った。
私とのことが鮮明に残っているというよりは単純に記憶力がすごいのかもしれない。どちらにしても私は嬉しかったのでよいのだが。

しかし、だ。
案外誰の思い出にもいないという事実は今後の人生に大きく影響を及ぼすことだとこの時初めて気づいた。
転職を繰り返していて引っ越しも繰り返しているので私は長く同じ場所に留まったことが社会人になってからないのだ。

学生時代の私が、雨に濡れた写真のようにふやけてしまったのだとすれば、これから挽回するしかない。

これからの人生、誰か一人でもいいので私のことを覚えててくれるように生きていきたいものだと思いました。

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