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自分へのベクトルが社会に向いた今、考えていること


昨日、私は今まで自分かそれに近しい人にしか向いてなかった矢印が社会に向いたことをはっきりと認識しました。

以前の関心ごとは、

いかに自分らしく自然体で頑張らないで社会と調和するか
勝ちの循環の輪の中に入るか
本来の自分と一致し続けるか
自分自身を癒し、愛し、すぐ近くの人を、目の前の日常を愛せるか

そんな感じのことでした。


それが…
昨日、自治会のとある会合に参加し、この矢印がくるりと反転。
元々地域や社会の課題に関心はありましたが、特に空き家や農地転用の問題ですね、けれど当事者意識はそこまで強くありませんでした。
田畑が潰れて家がどんどん建てられていることに心を痛めることくらい。

でも、ちゃんと声を上げなければいけない、行動しなければいけないと強く感じ、気づいたらその一歩を踏み出していました。


簡単に経緯を説明すると、私が住む街に大規模な(東京ドーム8個分)工業団地ができるという、もはや市の決定事項とされてることへの意見交換会に行ってきました。
広大な田園地帯が来年にはリチウムイオン電池工場なんかが入るのだとか。
なのに、なんの詳しい説明もなし。昨日も有志の集まりで、市の担当者などはいなかったんですよね。

おかしいですよね。いろんなリスクが考えられるのに、ほんのほんの一部の住民のみに説明をして同意を得たとして進めてるんですよ。
しかもメリットと決定事項だけ伝えられたのみだそう。

水面下でどれだけ動いていたのか、本当に腹が立ちました。
なす術はほとんどないと思います。

でも、今までの私だったら多分勇気が出なかったと思うけど、ちゃんと意見を伝えたいし、みんなに意見を聞きたいなと感じました。その一心で、動くことを決めました。

いつまでもどこまでも金や出世のための官僚的な考え方にそろそろ待ったと声を上げなきゃと思いました。

その理不尽さに腹を立てているのが全てではもちろんありません。

自然が豊かな場所をどんどん開発して、どんな街にするつもりなのでしょうか。

工業地帯と、腹を括って舵を切ったのでしょうか?

それならそうと説明してほしい。

でも、そうじゃないよね?

そもそも工業地帯という概念も考え直すタイミングに来ていると思います。
いつ時代の名残を残してるのでしょうか。

確かにそれで経済は回るかもしれない。
けれど、その代償の大きさに、もうなんとなくみんな気づいてるんじゃないんでしょうか。
でもなす術なく、手段の見当もつかず、政府におんぶに抱っこ状態から抜け出せない。

だから、私はこれからますます本当の意味で個人としての盤石な基盤だったり価値観が大切だと思うんです。

人それぞれ、生き方は自由だけど、自分の今世で終わりなだけ、という生き方でいいのでしょうか。

持続可能な社会は、個人レベルの意識で作っていくものだと思います。


だから私は、ここに直接メスを入れること
たくさんの市民の人に関心を持ってもらうこと
一人一人が自分の暮らしをもっと真剣に見てほしいということ
お金や社会や政府に踊らされない軸を持つということ、視野の広さを得るということ

これらをやっていきたい。

私がずっとみんなに伝えたかったこと、伝えてきたことがまたはっきりと明確になった気がしたので、もう躊躇なんてしてられない。どう見られるかなんか関係ない。

私は私が信じる道で、みんなに愛を持って発信していく。

ただそれだけです。


この市の動きは、愛を外側に向けての動きなのでしょうか。

到底そうは思えませんでした。

余計なお世話と言われたらそうかもだけど、私はこの地球全体の波動というかエネルギーというか、もっとあげていきたいと感じたのでやっていきます。

声に出して、行動して、少しずつ広げていきます。

孤独という怖さは、自分自身の勇気や自分自身への信頼の強さを知るためにあるのだと信じてみます。

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