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スケルトンスパゲッティ

 どうしてこうなった……。

 土曜日の昼下がり。
 目の前で湯気が立っているスパゲッティを見ながら、小学1年生の私は固唾をのんだ。

 数日前のことである。
 私は母から、今度の土曜日のお昼ごはんは、ミートソーススパゲッティだと伝えられた。

 ミートソーススパゲッティ。

 赤いドロッとしたカレーみたいなタレがかかっていて、それを絡めながら食べるやつだ。私の知らないうちに、母は洋食屋へ修行にでも行っていたのだろうか。私の心は躍った。

 今では、ミートソーススパゲッティは、パスタの王道であり、当たり前の食べ物だが、私が幼い頃、家庭の食卓にのぼるスパゲッティと言えば、ナポリタン一択であった。カルボナーラもペペロンチーノもない時代の話である。

 母は作るのも食べるのも大好きな人で、恐らく、自分の料理の腕には自信があった。色々工夫もしていたし、テレビや雑誌で見た美味しそうな料理には、できるだけ挑戦したいという向上心のある人だった。
 そして、とうとうミートソーススパゲッティにも挑戦するという。
 前日ならまだしも、数日前の予告、という点においても、母の気合が感じられた。これは楽しみにせざるを得ない。

 土曜日当日。
 午前中で学校が終わり、そそくさと、学校を後にする。なにしろ、ミートソーススパゲッティが待っているのだ。玄関のドアを蹴破るような勢いで開け、手を洗い、食卓につく。

 母が台所で、スパゲッティを茹でている。
 その後姿と、モワモワと立ち上る湯気に、期待が高まる。母がこちらを振り向く。
 いよいよご対面の時!
 テレビだったら、ここで大きな効果音で演出するか、一旦、CMに入るところだろう。それくらい、私の気持ちは盛り上がっていた。母特製、ミートソーススパゲッティの登場である。

 ジャーーーーーーーー、ん?

 目の前に置かれているソレは、赤いドロッとしたカレーみたいなタレはかかっていない。代わりにかけられているのは、得体のしれない、透明のタレである。

 ドラマ、太陽にほえろで、松田優作が演じたジーパン刑事が、死に際に、自分の手のひらについた血を見ながら放った、あのセリフが、口をついて出そうになるくらい、斬新な見た目だった。

「これなあに?」
「ミートソーススパゲッティよ!」

 母は得意げに言う。
 しかし、どう見ても違う。ひき肉、みじん切りのにんじんと玉ねぎが炒められたものを包み込んでいるのは、赤いトマトソースではない。透明のあんかけである。
 チラリ、と姉の方を見る。
 姉は特に気にする様子もなく、いただきまーす、と言って食べ始めている。

 もしかして、これは童話の裸の王様のように、賢い人間にだけ、赤く見えるミートソースなのだろうか。私の目には、このミートソースはスッケスケの丸裸にしか見えない。ということは、私は馬鹿なのか?
 恐る恐る、何故赤くないのか母に聞く。

「和風のミートソーススパゲッティなの」

 母の説明によると、ひき肉、にんじん、玉ねぎを炒めたところに、かつおだしを入れ、塩で味をつけ、片栗粉であんかけにしたらしい。

 鮮烈なトマトソースの赤い色を期待していた私にとって、母オリジナルの和風ミートソースは、あまりにもスケルトンだった。
 正直、見た目がかなり悪い。
 恐る恐る口に運ぶものの、味も何だかよくわからない。母には申し訳ないが、あまり美味しいとは思えなかった。一口食べて、次が口に運べない。

 かたや、姉はこの母オリジナルのスパゲッティが気に入ったらしく、
私の分まで、奪って食べていた。母は、そのことが嬉しかったようで、その後、このスケルトンスパゲッティは、数回、食卓に登場することになり、
その都度、私は絶望に襲われる羽目になった。

 それから数年が経ち、私は初めて、数人の友達を招いて、自宅で誕生日会をしてもらえることになった。その日のご馳走を何にするのか聞いても、
「当日のお楽しみ」
 と言って教えてもらえない。

 私はワクワクしながら、その日を迎えた。

 母が食卓にご馳走を並べる。
 普段目にしないようなカワイイ飾り付けの食べ物に心が躍る。友達も、母の手料理に目を輝かせた。

「さぁ、次はミートソーススパゲッティですよー」

 え? 今なんて?

 私は耳を疑う。
 まさか、姉にだけ大評判だった、あのスケルトンを、友達にお見舞いするつもりなのか!

 絶望しかけた私の前に、コトリと置かれたのは、和風のスケルトンスパゲッティではなく、ちゃんと赤い、トマトのミートソーススパゲッティだった。
 あのとき、食べたかった本物のミートソーススパゲッティが目の前にある。それがとても嬉しくて、私は友達の目も気にせず、満面の笑みで頬張った。

 数十年の時が経ち、今、母の作った、あのスケルトンスパゲッティを、食べてみたら、どんな感想を抱くだろうか。もし、母があの時のレシピをまだ憶えていたら、大人になった今の私に、一度でいいから、作ってくれないだろうか。

 そうしたら今度こそ、満面の笑みで頬張れるような気がするのだ。




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