見出し画像

サイゼリヤに最適化

 私が初めてサイゼリヤを知ったのは高校生のときである。
 当時私は帰宅部だったのだが、この頃から物を書くのが好きだったので、その縁で新聞部の手伝いをしていた。部活終わりに、先輩たちが、
「サイゼに行く」
 と言うので、「サイゼ?」と思いつつもついて行くことにしたのである。

 先輩たちは、ミラノ風ドリアを当然のように注文していた。
 メニューを見るのは昔から好きなので、ぱらぱらめくって、その値段を見て驚いた。
 安すぎる。
 驚きのあまり、私は何を注文していいのかさっぱりわからなくなった。こういうときは右へ倣えで、同じものを注文すればいいのだろうが、付き合いが悪いのは昔からなのだろう。このとき私は、飲み物か何かを頼んでその場をしのいだような記憶がある。

 あのとき、訳も分からず先輩のあとをついて行ったサイゼリヤが、時を経て、泣く子も黙る有名店になった。ミラノ風ドリアだけでなく、最近は羊肉にも力を入れているらしい。
 ラム肉は私たち夫婦の大好物だ。
 そうと知ったらじっとしていられない。私たちは、休日、用事を済ませるついでに、サイゼに行ってみよういう話になった。
 これは、

「サイゼにでも行こうか」

 という気軽なものではない。
 事前にネットでメニューも確認したうえで、前菜はどれにするか、メインは何にするか、パスタにするか、ドリアにするか、はたまたピザも注文するのか。夫婦で話し合いを重ねたうえで挑む、計画的来店である。

 当日、用事を済ませサイゼへと向かった。開店10分前、はやる気持ちを抑えつつ、駐車場で時間が来るのを待つ。
 開店時間ぴったりになり、いざ出陣。

「頼もう!」

 口には出さないが、そんな意気込みで重い扉を開けると、普通に店員さんから
「いらっしゃいませ」
 と返された。

 テーブルに着き、さぁ注文とメニューを開くと、この日に向けて夫婦で話し合ってきた様々なことが、途端に真っ白になってしまった。事前に食べてみようと思ったものと、この日食べてみたいと思ったものが入り乱れ、パーンとキレイに消えてしまったのである。

 こうなるといけない。
 計画は完全に崩れ、注文が闇雲になる。気が付いたら、最初に頼もうと計画していたミラノ風ドリアもピザも、注文しそびれてしまった。しまったと思ってももう遅い。

 それでも私は人生2度目のサイゼリヤを楽しんだのだが、どこか消化不良な気持ちが残ってしまった。

 もっと良い注文が出来たのではないか。

 そんな思いにとらわれながら、ドリンクのお代わりに立ち上がると、ドリンクバーの手前の席に、食事中の老夫婦がいた。そのテーブルを見て、私は目を丸くした。

 茶と赤ばかりの寂しい色をした私たちのテーブルと違い、老夫婦のテーブルは、色とりどりで非常に美しかったのだ。

 人の食べるものを覗き込むのは大変下品であるとわかってはいるが、どうしても目の端で夫婦が何を注文したのか追ってしまう。
 そんな下品極まりない私が何とか認識できた品は、

 小エビのサラダ
 柔らか青豆とペコリーノチーズの温サラダ
 コーンクリームスープ
 辛味チキン
 ミラノ風ドリア
 ミニフィッセル

 であった。

 考えてみれば、この御夫婦は来店したときから雰囲気が違っていた。私たち夫婦のように、

「頼もう!」

 なんて気負いは一切なく、自然にやってきて、当然のようにテーブルに着いていた。店員さんに、さらさらと流れるように注文すると、吸い込まれるようにドリンクバーに流れていき、夫婦それぞれの飲みたいドリンクを取っていたのである。

 それはまるで、川の流れのようであった。

 御夫婦は、注文したそれらの食べ物を、キレイに分け合いながら、するすると食べている。食事を終え、ドリンクバーのコーヒーで優雅なひとときを満喫していたときには既に、食べ終えたお皿はキッチリと重ねられ、テーブルは整然としていた。

 そうして御夫婦は、開店と同時に入店した我々よりも先に、店を去っていったのである。

 本当に見事であった。

 その卒のない御夫婦の動きを目の当たりにした夫は、呟くようにこう言った。

「サイゼリヤに最適化している…」


 どこの店にも、プロの仕業と思わせるような乱れない注文をする人がいる。 
 私たち夫婦があの領域に辿り着くまでには、何度サイゼリヤに足を運ばなければならないのだろうか。

 そう考えると、何だか気が遠くなるような思いがするのである。



この記事が参加している募集

#最近の学び

181,634件

#おいしいお店

17,628件

お読み頂き、本当に有難うございました!