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聖徳太子の練習

 2024年7月3日。いよいよ渋沢栄一が1万円札の顔になる。
 長いこと拝んできた諭吉の顔も見納めと思うと、なんとなく寂しい気持ちになる。

 福沢諭吉は40年もの長きにわたって、1万円札の顔を勤めてきたわけだが、その前、元祖1万円札の顔といえば、聖徳太子だった。

 聖徳太子は10人の人間が同時に話す言葉を、聞き取ることができたと伝えられている。最強のヒアリング力を誇る聖徳太子だが、我が夫も、太子様に負けず劣らずの耳を持っている。

 私は同時にいくつもの音を聞くのが苦痛なタイプの人間だ。四十路を過ぎてからというもの、その傾向が更に強くなった。

 しかし、夫は、ステレオでベートーヴェンを再生しながら、ラジカセでラジオを流すような人なのだ。酷いときは、パソコンの動画まで流すのだから、こちらはたまらない。正直、うるさい。なんとかしてほしい。

 ベートーヴェンだって、ラジオをつけたまま、自分の作品を聴かれたら、ムッとするだろう。
 私は行き交う音に渋い顔をさせながら言った。

「あなたはこういうとき、ベートーヴェンを聴いて、ラジオを聞き流してるの? それとも、ラジオを聞いて、ベートーヴェンを聴き流してるの?」

 渾身の作品を作り上げたベートーヴェンのためにも、そこはハッキリさせておかなければならない。すると夫は、

「どっちも!」

 そう元気よく答えた。
 どうやら夫は、とことん根が聖徳太子らしい。令和の世であっても、太子様の威光には逆らえない。私は仕方なしに、部屋の襖をするすると閉め、そっと耳栓を装着したのだった。

 そんなある日  

「えっ? なになに?」
 例によってこの日も、部屋にはラジオの天気予報とクラシック音楽が流れていた。懸命に天気予報を聞き取ろうとしていた私は、夫の発言を聞き逃してしまったのである。

「なに? 聞こえなかった。もう一度言って」
 そう頼むと、夫はにゅっと唇を尖らせ、

「大事なことじゃないから二度は言わない」

 と、口を閉ざしてしまったのである。

 よく、学校の先生が
「いいか! 大事なことだから二度は言わないぞ! よく聞け!」
 なんて凄むことがあるが、真逆のことを言われたのは、生まれて初めてであった。

 大事なことじゃないなら、気にせず放っておけばいい。
 しかし、正面切って
「大事なことじゃない」
 
と言われると、どれくらい大事じゃないのかを知りたくなるというものだ。

「大事じゃないなら、もう一回くらい話してくれてもいいでしょうよ」
 私が言うと、夫は首をぷるぷる振った。
「大事じゃないから、話してもしょうがないもん」

 確かに、それはそうかもしれない。
 人間生きていれば、ついうっかり、どうでもいいことが口をつくことはある。「あー、そうかぁ。今日は金曜日かぁ」程度の話だったら、改まって聞き直す必要はないだろう。

 しかし人間、必要か不必要かだけを考えて生きることは、視野を狭くするのではないだろうか。一見、不必要に思えることでも、受け手の心の状態によっては、ハッと息を呑むような悟りを得ることだってある。

「気になるじゃないのよ。言ってよ」
 妻が懇願しているにもかかわらず、夫は首を振り、一向に口を割らない。
 夫からすれば、あまり期待を寄せられても困るのだろう。
 今更口にして、
「なーんだ。そんなことか」
 なんてガッカリされるくらいなら、妻に気を持たせたまま黙っているほうが得策というものだ。

 しかし、私のこのモヤモヤした気持ちは、何で埋めればいいのだろうか。

 私は夫のように、複数の音を同時に聞くことができない。
 ラジオが鳴り、ベートーヴェンが流れ、パソコンから動画の音声が響く環境下に耐えられる耳でなかったがゆえに、思いがけず、埋まらない思いを抱えることになってしまった。

 今後このようなことがないよう、耳を鍛えるべく、複数の音を聞き分ける練習をしようかと考えている。 




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