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迷子の鳥を探しています。

 その日、私達夫婦は、頭の上でタオルを回していた。
 一見すると、その姿は矢沢永吉や湘南乃風のライブに熱狂するファンのようにも見えるが、ここはライブ会場ではなく、自宅の賃貸マンションの一室である。

 そんな賃貸マンションのポストには、郵便物だけではなく、いろいろなチラシが投函される。我が家で一番多いのは、宅配ピザやお寿司、新築マンションなどのチラシだ。ある日、そんなカラフルなチラシの中に、自宅のプリンターで印刷したものと思われる、素朴なチラシがまぎれていた。

 迷子の鳥を探しています。

 青い色の羽をしたインコの写真が載っている。可愛らしい山吹色のくちばしが、こちらに微笑みかけるように開いていた。
 名前はジロウ。
 チラシには、ジロウはタオルが大好きなので、もし見かけたら、タオルを振って保護してほしいと書かれていた。

 きっと、
 あのとき、ああしていればよかった。このとき、ああしていればこんなことには……。
 そんなふうに後悔し、目の端に涙を浮かべながら、このチラシを作ったに違いない。一緒に暮らす生き物が、家からいなくなる喪失感は、いかばかりのものだろう。それを思うとやるせない。

 私は、そのチラシを目のつくところに置いた。

 しかし、私は鳥を保護したことなどない。
 どちらかと言えば、生き物を触るのは苦手な方で、犬や猫も、かわいいと思うのだが、触るとなると、何だか気後れしてしまう。かわいいかわいいと気安く触ることが、動物に対して、失礼なことのような気がしてしまうのだ。もし自分が動物なら、人から気安く触られることをいとわしく思うだろう。

 だから私はこれまで、動物には気安く触らない、という姿勢を貫いてきた。だが今回ばかりは、そうも言っていられない。もし、ジロウを見かけたら、何としてでも保護しなければならない。

 こんな私に、インコが触れるだろうか。

 タオルを振って下さい。と書かれているが、どのように振ったらいいのだろう。そう思い悩んでいると、

「タオル出して」

 夫が言った。
 私はタオルを取り出し、夫に差し出したが、それを受け取ることなく、夫はこう続けた。
「じゃあ、ベランダにジロウがいると思って、タオル振ってみて」
「!?」

 こうして、ジロウを保護するための特訓が始まったのである。

 私は、新体操選手のリボンのように、波打つようにタオルを振ってみた。すると夫は、顎に手をやり、
「それじゃあ、何だか追い払ってるみたいだよ」
 と言う。

 確かに、あっちに行け、とでも言わんばかりに、タオルがバタバタはためいている。じゃあ、これならばどうだと、手首のスナップを利かせてみるも、
「干す前にタオルをパンパンやって、伸ばしているようにしか見えないよ」
 文句ばかりである。
「じゃあ、お手本見せてよ」
 私がむくれていると、夫は立ち上がり、もう一枚タオルを取り出して、

「こうだよ!」

 そう言って目を見開き、腕を高く上げてタオルを振った。大股に脚を広げ、地にしっかり足をつけたその姿には、力がみなぎっている。しかも、タオルを左右に振る度に、腰の方も、左右に細かく揺れていた。

「腕だけで振るんじゃダメなんだよっ! もっと腰を入れなきゃ。そうじゃないと、ジロウが飛び込んできても受け止められないよ!」

 私は「わかった」と言い、夫の指導の下、もう一度タオルを振ってみた。もっと腰を落としてだの、もっと細かく振れだの言われながら、タオルを振る。ふざけているように見えるかもしれないが、私達夫婦は真剣である。 

 しかし、夫の言うように、必死にタオルを振ると、どうしても動きが激しくなってしまうのだ。まるで歌舞伎の連獅子の毛振りのように、頭の上でぐるぐるぐるぐるタオルが回ってしまう。
 私は言う。

「ねぇ、こんなに激しく振ったら、ジロウ、怖がって逃げない?」

 ジロウがひるんで、飛び去ってしまう姿が目に浮かぶ。せっかくジロウがやってきても、逃げられてしまえば意味がない。チラシには、
 タオルが大好きなので、タオルを振って保護して下さい。
 としか書かれていない。果たして、私達の振り方で合っているのだろうか。

 正解がわからない。

 それに、もし保護することができたとしても、我が家に鳥かごはない。飼い主さんが迎えに来るまで、ずっと、部屋の中で飛び回らせておくしかないのだ。
 もし私がジロウなら、突然、見知らぬ部屋に閉じ込められたりしたら、驚いて飛び回り、下手したら方向感覚を失って、窓に体当たりしてしまうかもしれない。

 ハトやスズメが、ガラスに体当たりして死んでしまうなんてことは、よく聞く話だ。もし我が家に保護して、そんなことになったら、飼い主さんに申し訳が立たない。

 私のような、動物慣れしていない人間に保護されて、かえって悲劇を生みはしないだろうか。

 そんな自問自答を続けつつも、私は、周囲にインコがいないかを、日々気にかけるようになった。夫も気にしているようで、仕事から帰ると、
「今日、ジロウ来たかい?」
 なんて訊いてくる。

 夫婦でジロウの飛来を待ち望んでいたものの、残念なことに、ジロウが我が家のベランダに、姿を見せることはなかった。

 ジロウは、飼い主の元に戻れただろうか。

 チラシが投函されてから、既に一年以上経過しているが、私は今でも、このチラシを捨てることができずにいる。


 

  


#創作大賞2023 #エッセイ部門

お読み頂き、本当に有難うございました!