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世界平和はサッポロ一番から


 ポロイチ、という言葉を知ったのは、つい先日のことである。

 最初は、ポロシャツを偏愛している人たちが、
「ポロシャツが一番好き」
 という意味の言葉を発する時、略して
「やっぱ、ポロイチだわ」
 みたいな感じで使っているのかと思ったが、全く違っていた。

 どうやら、このポロイチ、かの有名インスタント袋麺サッポロ一番の略らしいのだ。若者の間で広まっているのだろうか。
 どの世代でポロイチという言葉が一般化しているのかわからないが、

「ポロイチの塩」 
「ポロイチのしょうゆ」
「ポロイチのみそ」(50音順)
 などと言われ、新たな親しまれ方をしているのだろう。

 ただ、私は今、サッポロ一番を話題にしたことを少し後悔し始めている。なぜならば、このサッポロ一番、ファンが熱いのだ。

 何の知識もない丸腰の状態で、取り掛かっていいネタではない。ただでさえ丸腰なのに、下手なことを言ったら、すね毛まで毟られかねない、大変危険な話題なのである。

 よく、初対面の人と話をする時は、政治、野球、宗教の話題は避けたほうがいい、などと言うが、そこにサッポロ一番も加えておきたい。
 万が一、「サッポロ…」と、口をついて出てしまったら、無理矢理にでも雪まつりの話題に変更することをオススメする。なぜならば、このサッポロ一番の話をすると、必ず、

 どの味が好きか。

 という話題になってしまうからだ。
 これがマズイ。サッポロ一番はウマイが、これは本当にマズイ。

 今、私は、踏み込んでしまったな、と書きながら少したじろいでいる。
 このまま丸腰でこの話題を続けるべきか悩むところだが、いつ毟られてもいいように、すね毛だけは立たせておいて、話を続けようと思う。

 サッポロ一番には多くの味が存在するが、大体、争いを見せているのは「塩派」と「みそ派」(50音順)である。
 先程からお気づきの方もおられるだろうが、正直、この並びの順番すら気をつかう案件なのだ。

 ドラマの出演クレジット順で揉めるのと同じだ。さっきのポロイチの並びにもわざわざ(50音順)と明記してあるのも、いらぬ争いを未然に防ぐ配慮である。

 だが私は、その争いを防げる気がしない。

「みそ派」がギリギリと下唇を噛む音が聞こえるからだ。サッポロ一番みそ派、最大の主張は、塩よりも、3年先駆けて発売した、という点にある。

 そのみそが、50音順にすると、しょうゆより下の三番手になってしまう。みそ派には、天下の宝刀50音順は通用しない。

 出演クレジットの順に怒り狂う大女優さながらのマグマをその胸中に抱えることになるからだ。

 このマグマのように燃えるみそ派の怒りに油を注ぐ命知らずが、最大派閥ではないかと目されている「塩派」である。

 とにかく、この塩派というのは声が大きい。謙虚さを塩田に放り投げ、干からびさせているのではないかと思えるくらい
「サッポロ一番で一番うまいのは塩!」
 と言って憚らない。
 異論を一切認めないほどの、溢れ出る自信、そのさまは自己肯定感の低さに思い悩む現代人の指標になるかもしれない。

 そんな荒ぶる派閥の中で、しょうゆ派は癒やしの存在だ。彼らは争いを好まない。
 サッポロ一番ブランドで、一番最初に発売した味だということを、鼻にかける気配すらない。

 ただひたすら、きっちり水を計測し、きっちり麺を時間通りに煮立て、丼によそったあと、
「あぁ、丼少し温めておけばよかったな。でもいいんだ、少しくらい冷めてもしょうゆはおいしいから」
 などと言って、ズズッとスープを味わう。
そして、
 「しょうゆ味の麺は、少し、醤油が練り込んであるんだよね。芸が細かくて、嬉しいよね」
 などと言って、チュルチュル麺をすするのである。

 彼らは、塩とみその争いを遠くで眺めながら、麺を食べ終わるやいなや、お茶碗に軽く1杯ほどのご飯をよそってきて、残った汁に入れて食べている。

「実はしょうゆ味が一番ご飯に合うんだよね。お鍋で卵と一緒に煮ても、最高なんだ」

 などと言って、汁を含んだごはんを眺めて、やさしく微笑んでいる。

 己の良さを知り、他と争わないスタイルは、世界平和の基本である。

 最近、コンビニなどでは袋麺がバラで売られている。他を知ることで、更に自分の好きな味の良さがわかるというものだ。

 たまには熱愛する味以外の袋麺を買って、
他の味の良さを確認してみるのもいいだろう。これからは、穏やかな気持ちでスープを味わい、優しい気持ちで麺をすすろう。

 世界平和はサッポロ一番から始まるのだ。





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