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丸眼鏡の人、お元気ですか?


 ほんのひと時、同じ場所にいただけなのに、忘れられない人がいる。
会話もしていない、すれ違っただけの人。それなのに、年に一度は必ず、その人のことが話題に上る。もちろん、名前は知らない。

 その人の髪型は細かいソバージュで、黒髪。長さは肩までいかない。ソバージュのおかっぱ、といったところだ。丸い眼鏡をしていて、唇には真っ赤な口紅をひいている。洋服は赤と黒だったような記憶がある。

 その人と出会ったのは、喜多方ラーメンの名店、坂内食堂。
 私の向かいに、その丸眼鏡さんは座っていて、両隣に、旦那さんと、父親がいる様子だった。店内は大繁盛で、すし詰め状態、他人も身内も関係なく、どんどん座っていく。

 皆、同じラーメンをすすっている。
 見た目の違いと言えば、ラーメンか、チャーシューメンか、それくらいの差しか無い。皆が一斉に同じ色のものを食べている光景は、知らぬ者同士で同じ釜の飯を食うような一体感があった。
 店内はにぎやかではあるものの、私語はない。軽く会話はしても、ラーメンをすする音の方が大きい。そんな中、ささやくように向かいから声が聞こえてくる。

「うんうん、おいしい」

 丸眼鏡の人が、独り言のようにつぶやいている。
 ウマイが口をついて出ることは誰にでもある。私もおいしいと思って食べていたので、丸眼鏡の人のつぶやきに、まるっと同意した。

「うんうん、さっぱりしてる。懐かしい味、おいしい」

 丸眼鏡の人が、さらなる感想をつぶやいた。その意見にも同意である。

 気がかりなのは、両脇の家族が、全く無反応なことだ。
 何も言わず、仏頂面で、ラーメンをすすっている。丸眼鏡の人が、おいしいおいしい言っているのに、何も言わない。私に聞こえているのだから、両脇の2人に、聞こえていないわけがないのだ。
 無視しているようで、何だか寂しい。
 丸眼鏡の人は、納得したように、うんうん頷いて食べている。私も思わず、ちょっと頷いてしまう。

 食べ終わり、店を出る。夫も私と同じように丸眼鏡の人が気になっていたらしい。

「一緒に食べてるんだからさ、うんとかすんとか言ってあげればいいのにねぇ」

 そんなことを言いながら、喜多方を後にした。


 その後、我が家では、
「さっぱりしている」
 というキーワードを夫婦のどちらかが口にすると、必ず、
「懐かしい味、おいしい」
 と口をついて出る病にかかってしまった。あの時の丸眼鏡の人のセリフを、思わず再現してしまうのだ。

 下手したら、ひと月に一度は、丸眼鏡の人の話をしている。
 もう15年以上前の話なので、現在に至っては、あの丸眼鏡の人、元気にやってるかねぇ、とか、今いくつくらいになっているのかねぇ、という話題に発展したりする。

 正直、福島の旅の出来事は、丸眼鏡の人のことしか覚えていない。
 ラーメンはさっぱりしていたのだが、丸眼鏡の人の存在感は、私達夫婦にとって、かなりに濃厚だったようだ。





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