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トドに抱いた親近感

 実家にいた頃、だらしなく寝転んでいると母に言われた。

「トドみたいに寝転がってるんじゃないの!」

 家で細々こまごました家事をして働いていた母からすれば、手伝いもせずゴロゴロ転がる娘が、邪魔で仕方がなかったのだろう。

 これがスリムで小柄な人であれば、犬や猫など、小さくて可愛らしい動物に例えてもらえるのかもしれないが、いかんせんそういった愛らしさが私には皆無だった。

 しかし私は、母からトド呼ばわりされても、大して気にも留めずにいた。なんせ、トドと言われたところで、見たことも触ったこともないのでピンとこない。
 海にいる哺乳類というくらいの知識しかなく、私はトドはアシカやアザラシなどと大して変わらない生き物だと思っていた。

 随分昔のことになるが、川にアザラシが迷い込んで話題になったことがあった。

 そのアザラシは多摩川で発見されたことから「たまちゃん」と呼ばれ、連日マスコミがその動向を追うほどの人気者になった。たまちゃんは、水面にその頭をひょこっと出し、鼻の穴を膨らませ息をしている。その様子は実に可愛らしかった。

 確かにトドの方が、サイズは大きいかもしれないが、アザラシと同じ鰭脚類ききゃくるいというグループに属している生き物だ。トドにもアザラシのような可愛らしさがあって、それなりに愛嬌があるに違いないと私は思っていた。そのせいで、私はトドに親近感すら抱いていたのだ。

 しかし、その思い込みは一変する。

 夫と二見シーパラダイス(現・伊勢シーパラダイス)に行ったとき、その入り口横にトドがいた。入場前から生き物が見られるなんて、ここの水族館はなんて太っ腹なんだと感激し、近づこうとしたら、

「グォォォォォォォーーー! ゴォォォォーーー!」


 トドが、凄まじい雄叫びを上げたのである。
 その雄叫びは、すぐそばにある名勝、夫婦岩の大注連縄おおしめなわを震わせんばかりの咆哮ほうこうであった。

 私は驚いた。
 散歩中に犬に吠えられ、びっくりして飛び上がることがあるが、まさに私は、トドの咆哮ほうこうにギャッ!と飛び上がってしまった。恐る恐るトドを見ると、これ以上むき出すと、ポロッと落ちてしまうのではないかと心配になるほど、目玉が飛び出ている。しかも、血走っていた。

 こんな生き物だとは思わなかった……。

 あまりの迫力に、これまで抱いてきた親近感が薄れていく。反抗期の子供に「くそババァ」呼ばわりされた母親のような気持ちで、私はトドを眺めていた。

「すごい迫力だね」

 夫が言う。トドに向けた発言だとわかってはいたが、何だか自分が言われた気がして、居たたまれなくなってしまった。


 北海道では、トドを食べさせるお店があるらしい。そのことを知ったのは、つい最近のことだ。

「ねぇ、トド肉って食べられるの知ってた?」
 夫に言うと、
「へぇー、そうなの。そういえば、二見の水族館でトド見たねぇ」
 あの咆哮ほうこうが否が応にもよみがえってくる。
「北海道に行くと食べられるらしいよ。缶詰も売ってる」
「ふーん」
「でもね、すごく臭みがあるんだって。一口食べると、半日くらいトドの風味が口に残るらしいよ」
 私が、世間で噂されているトド肉の味を伝えると、夫はうんうん頷きながら、こう言った。

「なるほど。口の中にトドがトドまっちゃうんだね

 トドの大きさは、その見た目や鳴き声だけではない。味覚にも訴えてくる迫力がある。ギョロっとした血走る目も、轟くとどろ雄叫びも、その肉の味も、野性味にあふれているのだ。

 私は勝手にトドに親近感を抱き、その予想外の迫力におののいてしまったわけだが、考えてみれば、何とおこがましいことだろう。

 現代の利便性にすっかり飼いならされ、近所を気にして大声を上げることもできない私に、残されている野生など無に等しい。
 自分の中に残る野生を取り戻すべく、むしろ私は、トドに親近感ではなく、憧れを抱いて生きるべきではないか。

 そんなふうに己を顧みながら、私は、二見に轟いとどろていたトドの咆哮ほうこうに、思いを馳せるのであった。 






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