犬神家がやって来た。
先日、服を新調した。私の横に広がったボディを少しでも小さく見せようと企んで購入した紺色のカーディガンだ。それを部屋の鴨居にかけていたら、いつの間にやら夫が着ていた。
「ほら、見て」
夫がくるりと一周回る。
残念ながら、私より似合っている。
細身の人は何を着ても大概似合う。悔しいが、ここで不満を言っても仕方がないので、私は正直に褒めた。
「あら、ステキよ」
すると夫は、間髪入れずにこう訊き返したのだ。
「え? スケキヨ?」
唐突にやってくる犬神家の気配。
夫の聞き間違いは、白いマスクの中で光る二つの目。湖畔での無残な最期の姿を、私の脳内に連れてきた。
そして思う。
やはり犬神家の一族はすごい。
「スケキヨ」という、たった四文字で、あの白いマスク。湖に刺さった二本の脚。犬神家の家宝、斧(よき)、琴(こと)、菊(きく)。
すべてのアイテムが一気に頭の中を駆け巡ってくる。
散りばめられたアイテムがすべてキャッチ―で、見る者の想像力を掻き立てる。犯人やオチがすべてわかっていても、
今度、誰誰が主演で犬神家をやりますよ。
と言われると、松子、竹子、梅子。珠世や佐清は誰が演じるのか、つい気になってしまう。きっと、俳優の皆さんも一度はいずれかの役を演じてみたいのではなかろうかと思う。
個人的な意見であるが、私は人間というものは元来、「仮面好き」なのではないかと考えている。
日本の場合では、「犬神家の一族」の監督も務めた市川崑作品の映画「天河伝説殺人事件」にも能のシーンがある。物語の中でも、能面は大事な役割を果たしている。
音楽でいえば、少年隊の「仮面舞踏会」は出だしを聞くだけで、それとわかるし、TRFの「masquerade」や、いらない何も捨ててしまおうの歌詞でお馴染みのB'zの「LOVE PHANTOM」も、ミュージカル「オペラ座の怪人」のオマージュであることがわかる。
オペラ座の怪人の象徴といえば、何と言っても白い仮面と赤い薔薇だ。
私も曲を聴くだけで、うっかり鼻血が出そうになるほど、オペラ座の怪人が大好きだ。
仮面というものは、どうにも色気がある。
顔が隠れているからなのか。その仮面を剥いでみたいという欲を掻き立てられるからなのか。煽情的なものを刺激する妖しさと怪しさがある。
おかしな話だが、犬神家の一族で、白マスクのない佐清が登場すると、あぁ、やっぱり白マスクのほうがいい、なんて思ってしまう。犬神家が映像化されたとき、大概、佐清は美しい俳優さんが演じるものだが、その美しさをもってしても、仮面の魅力には敵わない そう考えてしまうのは私だけだろうか。
もしかしたら、仮面さえ被れば誰にでも魔法がかかり、魅力が爆上げされるのではないか。そんな気がしてならない。
ハロウィンは終わってしまったが、今すぐスケキヨマスクを買って、夫に被せてみたくなる。
私が購入したスケキヨマスクを夫が被る。そのとき
「ほら、見て」
そう夫に言われたら、今度は聞き間違いではなく、本当に
「あら、スケキヨ」
と言ってみたい。
そんな気の迷いを起こしそうな、秋の夜長である。
ほんの少しだけ関連作品。
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