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この大地を踏む人たち


広島の原爆ドームを目の前にした時、鳥肌が立った。
テレビや映像で見る、それとは、何もかも違って見える。

少し怖い。
気配、空気、細かい瓦礫の重なり。
その建物は、まるで息をしているかのように、
受け継がれてきた思いを放つ。
この土地に起こった大きな悲劇が、足の裏から、
全身に伝わってくるような気がした。

広島平和記念資料館を後にした時の足取りは、
まるで鉛を入れたかのように重かった。
その重さに足首がついていかない。
足元がグラグラし、思わず、膝を付きそうになる。
胸が苦しい。
入館前は、お昼に何食べようか、なんて夫婦で話していたのに、
ただただ、ため息しか出なかった。
なぜこんな事が起こってしまったのか、
そんなことばかりが頭を巡る。

視線を落としたまま、資料館を後にする
青い目をした青年がいた。

悲劇の記録を目にした人に湧き上がる思いは、
ただただ、悲しい、ということしかない。
理念や思想は、その後に付いてくるものだと思う。
このただただ悲しい、という気持ちを、
誰かの思想に惑わされることなく、
自分のものとして、大切に記憶しておきたいと思った。


若い人とすれ違う。
ちょっとしたすれ違いざまにも、スッと軽く会釈する。
一人くらい、ちょっと悪そうな子がいてもよさそうなのに、
皆、背筋が伸びている。
広島の若者は素敵だ。
洋服の色も、カーキーやベージュ、藍色、小豆色、
自然な、優しい色が多く、とても上品で穏やかに見える。

柳の枝が、風に揺れ、さらさら流れ、
行き交う路面電車は、街を縫うように通り過ぎる。
他の土地にはない、広島にしかない空気。
それを思い出す度、体の中がふわっと浮いて、
あの街に、心が迷い込んでしまいそうになる。
広島は、どこにも似ていない。

原爆ドームを通り抜ける風は、その生命を愛おしむかのように、
広島にいる、皆の頬を撫でていく。
私の頬も、夫の頬も、あの青い目の青年の頬も、
わけへだてなく、するりと撫でる。

ここで暮らす人々のそばには、ずっと原爆ドームがある。
春夏秋冬を、ともに生きる。
その存在は恐らく、私が思っている以上に大きい。
だから、皆、背筋が伸びているのだろう。
この大地を踏みしめて、暮らす人を見て、私も少し、背筋が伸びた。



作中に、にわのあささんの作品を、貼らせて頂きました。
この作品を読んで、原爆ドームと共に暮らす人、
という意識を強く持つことが出来ました。有難うございました。

こちらの作品も、是非読んで下さい。もっと早く知っていれば!
広島で育ち暮らす人の夏を知ることが出来ます。↓

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お読み頂き、本当に有難うございました!