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導入化粧水を導入

 「ねぇ、これ買ってみようと思うんだけど、どうかな?」
 夫が私に買い物の相談をしてきた。わざわざ訊くのだから値段が張るものなのだろう。そう思い、身構えながらパソコンのモニタを覗くと、そこには小さなボトルが、ちょこんと映し出されていた。

「なんだい、これは」
「導入化粧水だって」
「導入……?」

 私は思わず渋い顔をした。
 正直、私はお肌のケアというものに、かなり無頓着のほうだ。牛乳石鹸でバシャッと洗顔したあとはその辺の油でも塗り込んでおけば充分だと思っている。

 薬局で売っているオリブ油は髪にも肌にも使えていい。しかも、こんなに安いのに、100mlも入っている。
 だが、うっかりすると、忘れてこのオリブ油すらつけ忘れるのだから、無頓着もここまでくると筋金入りだ。


 しかしそれでいて、特に吹き出物に悩まされたことがないのだから、私は面の皮が厚い女なのかもしれない。

 それに引き換え、夫である。

 ずっと乾燥肌だったのだが、簡単なケアを取り入れたところ、以前ほど乾燥に悩まされなくなった。それからというもの、よさそうなスキンケア商品を見つけると、夫は少しばかり興味を示すようになってしまった。

 しかし、横にいるのは無頓着で筋金入りの妻。化粧水、クリーム、オイルあたりの必要性は認めるものの、そのほかのアイテムは、化粧品会社の罠だと思っている。

 あれもこれも買わせて、これがなければ美しいお肌が保てないと、消費者に強迫観念を与えているのではなかろうか、そう思い、疑心暗鬼になっているのだ。
 そんなことを考えるのも若い頃、化粧品セールスの女性に声を掛けられ、スキンケアに興味がないと断ったとき、
「信じらんない。女なんだから少しはケアしたほうがいいですよ」
 そう言い捨てられたことが原因なのだが、一度こういった経験をすると、そのときの悪印象を消すことはできないものだ。

 私は夫に言った。
「導入って、何を導入するの」
「え? 化粧水の成分」
「は? 一本で済まないの?」
 思わず喧嘩腰になる。
「これを塗るとね、その次に塗る化粧水の成分が浸透しやすくなるんだって」

 詐欺だ!

 私は瞬時に思った。

 導入化粧水を塗ってから、化粧水塗る。化粧水だけでは乾燥するから乳液を……。乳液だけだと成分が足りないから美容液も3滴ほど……。美容液だけでは蓋が出来ないので、保湿クリームを乾燥防止に塗りましょう……。

 これが注文の多い料理店だったら、そろそろ食われるところである。

 そのうち、
「乳液の前には導入乳液を。美容液の前には導入美容液を。クリームの前にも導入クリームを塗って、浸透力をアップさせましょう!」
 などと言い出しかねない。
 全てのアイテムに導入アイテムが導入され、洗面台の前の棚は、カレー作りの沼にハマった人のスパイス棚の如く、小瓶であふれかえるに違いない。

 断捨離しよう。
 ミニマリストになろう。

 そう喧伝される昨今に、洗面台だけ小瓶で溢れるのは如何なものだろうか。

 それに、これほどまでに多数のアイテムを商品化しているのにもかかわらず、この世には、
「これ一本で大丈夫!」
 と謳うオールインワンアイテムもあるのだ。
 ここまでくると、化粧品会社の真意がわからない。
 私がつい、化粧品というものに疑心暗鬼になるのは、この一貫性の無さなのである。

 アイテムが複数いるのか、一つだけでもいいのか、そこのところをはっきりさせてほしい。

 もしや、こうしてお肌に悩む消費者を迷路へと誘い、あれこれ手を出させて暴利を得ようとしているのではあるまいか。かつて悪態をついてきた化粧品セールスの女性を思い出しながら、私はつい、ギリギリと歯ぎしりをしてしまう。

 私は様々な持論を展開し、化粧品会社の罠にかからぬよう、夫の救済を試みた。夫はそれを黙って聞いていたが、私がひと通り話を終えると、口をにゅっと尖らせて、こう言ったのである。

「でもマラソン選手だって、いきなり走り出したりしないよね。入念なストレッチをしてから走り出すじゃない。導入化粧水は、運動選手がやってるストレッチみたいなものなんじゃないのかな?」

 へ?

「うちで唐揚げとか作るときにも、『早めに下味付けとかなきゃ!』って言ってるじゃない? いきなり熱い油に買った鶏肉を投げ入れないでしょう? 肉にも下味が必要なんだから、人の肌にも下味が必要だよ」 

 手遅れだ。

 夫は完全に化粧品会社の罠にかかってしまったらしい。

 夫の心を化粧品会社に奪われた私は、ハンカチをイーッと噛むような思いで、導入化粧水をネット注文した。商品が届き、夫はお風呂上りに早速、導入化粧水をはたき、化粧水をはたいている。私は横目でそれを見ながら、半ばふてくされた思いで缶チューハイをグイッとあおっていると、

「ねぇねぇ、これ本当に導入するよ。このトロッとした化粧水がスーッと入っていくんだから! ねぇ、使ってごらんよ」
「あ?」
「騙されたと思って、ほら使ってごらんなさいっ!」

 夫の口調が美容家のIKKOさんのようになってしまった。

 私は飲んでいたチューハイをテーブルに置き、夫の指導の下、導入化粧水の後に、トロトロした化粧水を塗り込んでみた。

「ぎもぢわるい。ドロッとした化粧水嫌い」

 そう言って、渋い顔をしながらつけていたのだが、しばらくすると、肌に乗せたドロッとした液体が、乾いた大地に吸い込むようにスーっと肌に浸透していくのがわかった。
 翌朝、肌をさすってみると、油浮きもなく何となくお肌の調子がいい。

 おや?

 それからというもの、私がお風呂から上がると、夫が
「ほら使ってごらんなさい」
 と言って、導入化粧水と化粧水を差し出す。私はそれを黙ってつける、という光景が繰り広げられている。
 こうして我が家に、導入化粧水が導入されたのであった。



 化粧品セールスの人に悪態をつかれたときの話。↓


  

 


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