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ニオイ消えればクサさ忘れる

 私は明日、臭い女になる。
 足が臭いのではない。明日の私が臭いのである。

 私は今、無性にニンニクが食べたいのだ。3玉ぐらい刻んで、オリーブオイルに放り込んで、大量のパスタをいれて、アーリオなオーリオでペペロンチーノをしたい。

 赤い布を目の前に掲げられた闘牛のように、私は今、ニンニクに向かって走り出したいくらいなのだ。ニンニクの名産地である青森の畑を、犬のように掘り返したくてたまらないくらいなのだ。
 ニンニクを摂取する前から、ニンニクの効果が出ているのではないかと思うほど、今、私の鼻息は荒い。

 しかしニンニクは臭い。とにかく臭い。
 食べているときの、あの食欲をそそる匂いは、身体を通ると、何故かすぐさま悪臭へと変わる。あの匂いを求めてニンニクを刻んだのに、食事を終えて気持ちが収まった途端、もう悪臭になってしまうのだ。

 ふぅ、と溜息をつこうものなら、空気清浄機が、ブオオオオオオオオーと勢いよく動き出し、部屋の中が悪臭の危険領域であることを知らせてくる。

 昭和の時代、付き合いで飲んできたお父さんが、翌日、家族から「酒臭い」と総スカンを食らうという光景がよく見られた。普通に飲んできたのなら、眉をひそめるくらいの反応で済むところだが、もし、ツマミが餃子や焼き肉だった場合、もはや人間扱いはしてもらえない。ニンニクの残り香は、人を凶悪にさせる何かがあるのだろう。「あっちへ行け」だの、「こっちを向いてしゃべるな」だの、家族の悲しい暴言がお父さんに襲い掛かる。

  ニンニクを食べるなら、みんなで一斉に食べなければならない。

 「今日、付き合いでニンニクを食べるから」と、家族にきちんと報告し、その連絡を受けて、他の家族もニンニク料理を食べるといった報連相的なチームワークがないと、円満にニンニクは食べられないのだ。もしこの報告を怠った場合、臭いが抜けるまでは家に帰れないと覚悟を決め、泣きながらニンニクを食べるしかない。

 生のニンニクを食べた翌朝、部屋に充満する臭いに驚いて目が覚めるときがある。自分で、自分から発せられる臭いに驚愕する。この臭いに比べれば、枕の加齢臭なんて、仔猫みたいにかわいいものだ。

 世の中、どうすることも出来ないことは山ほどあるが、ニンニクを食べた翌日は、本当にどうすることも出来ない。手も足の出ないというのはこのことである。自分がニンニク臭くなるという予測ができるのに、それでも人は、ニンニクを食べてしまう。恐ろしいことだ。吸血鬼がニンニクを恐れるのも無理はない。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があるが、そろそろ、「ニンニクはニオイ消えればクサさ忘れる」という類語が出来てもいい頃ではないだろうか。

 そんなことを思いながら、私は今、ワシワシとニンニクの皮を剥いている。どうすることも出来ない臭いを抱える覚悟はできた。もちろん、夫も道連れにするつもりだ。円満にニンニクを食べるための報連相は済ませている。

 もし今、埼玉周辺をうろついている吸血鬼がいらっしゃるなら、一応忠告しておくが、我が家には決して近づかないことをお勧めしたい。






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