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まわる回るよ、思考露出狂


私は、時代よりも思考を回してきた。
どっぷり物事を考え、時には苦しみ、時には閃き、
自分や、できるだけ他者にも真摯であろうとし、また考える。
そんな思考を言葉にした時、
そこまで考える必要ないんじゃないか。
今まで多くの方に幾度となく、そう言われてきた。
自分の考えを知ってほしい、そうやって取り出した思考が、
悲しいかな、思いがけず誰かの息苦しさに繋がってしまうことがある。
自分の意見を押し付けるつもりはない。
でもそれを読んで、知ってもらおうとすること自体が、
押し付ける可能性があり、誰かの負担になってしまう。
何かを感じ、文章にし、表面化させることは、
そういうことと隣り合わせだ。
そして「この人めんどくさいなー」と思われることとも
しっかり隣り合わせである。

でも、私は思考を止められない。
まさに、やめられない止まらない。
それって、そんなに美味しいの? と言われても仕方がないほど、
かっぱえびせんレベルで、次から次への思考が伸び、
ああじゃないか、こうじゃないか、考えてしまう。

そんな私を、高校時代の恩師が、
「あなたは渦のような人だ」
と言った。
ぐるぐるぐるぐる
洗濯機が回るように、物事を考えているからだ。
洋服のように洗ってきれいになればスッキリするのだが、
かえって混沌として、洋服のシミの形が、
最初に見たものと変わっていたりするから厄介である。

それこそ、きっちり答えが出れば、ぐるぐるした甲斐があるのだが、
回す電力の方が先に尽き果て、脱水する元気も無くなり、
洗濯物はシミが付いたまま、びちょびちょ。
あんまりぐるぐるしていたので、
自分の目まで回っていることも少なくない。
私の手に負えない自分がここにいる。

その恩師が、随分前に、手紙でこんなことを書いてくれた。

あなたが悩んでぐるぐるしていたら、
私が逆回転にぐるぐるまわしてあげます。

そう言って、いつも私の思考する様を面白がっては、
今でも、洗濯機に手を突っ込んで逆に回してこようとする。
私という人間は変わらないのに、
私を面倒くさいと思う人もいれば、
恩師のように、面白がってくれる人もいるから不思議だ。

できるだけ、面倒な人間と思われたくはないが、
考えることに蓋ができない。
恐ろしいことに、せっかく考えたんだから、
その思考を見てもらいたいとすら思うのだ。
そして私は今、自分にそれを許している。
なんと、業の深い人間だろう。

もしかして私は、思考の露出狂なのかもしれない。

私は自分の心に洗濯機を抱えた変態なのだ。
思っては書き、考えては書き、見せなければいいものを、
半ば興奮気味に、バサッと、コートを開いてしまう。

おまわりさんこっちです!

駆けつけたおまわりさんにも、私はバサッとやってしまう。
そしてガチャッと手錠をかけられる。
手が不自由とあらば、私はその場をぐるぐる回り、
遠心力でコートを巻き上げようとするだろう。
ちょっとした地獄絵図の完成である。

まわる回るよ、露出狂がまわる。

今こうしている最中も、私はぐるぐる回っている。
でも不思議なのは、こうして回りながらも、
少しずつ前には進んでいるようだ。







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