誤用と伏線について考える
目に入れても痛くない。
そんな表現がある。
近頃、SNSなどの影響なのか、
「一生食べていられる」
「神ってる」
「秒でバレた」
などなど、やたら大袈裟な表現が目立つようになった。
オーバーな言い回しをするほうが、テンションも上がって、会話が楽しいのだろう。
先程、冒頭で記した
目に入れても痛くない。
は、そんな過剰表現の元祖のような気もする。
常識的に考えて、どんなに小さくとも、幼子をぐりぐり目に入れたら痛いに決まっている。しかし、
その常識すら吹き飛んでしまうくらい可愛いくてたまらない!
と、この言葉は主張しているのだ。止めどなく溢れる思いというのは、人を過剰表現に誘うものらしい。
しかしこの言葉、可愛ければ何にでも使っていいわけではない。
推しのアイドルが、どんなに可愛いかろうとも、
目に入れても痛くない。
ということはできない。なぜならば、推しのアイドルは、アイドルとして活躍できるほどに成長した人間で、幼子ではないからだ。
ここで、
目に入れても痛くない。
の意味を改めてみてみたい。
ちなみにこれは、現時点での意味である。
もし、今後「目に入れても痛くない」を推しのアイドルに対して使う人たちが増え、一般化されれば、誤用でなくなる可能性もある。
言葉は生き物だ。
使われ方が変化すれば、意味もそれに従うようになる。
だが、今、そういう使い方をしたら、完全に誤用と思われてしまうのだ。
先日私は、6000文字ほどの短編小説をnoteに投稿した。
未読の方もいらっしゃるかもしれないので、一応あらすじを……。
ここまでが序盤のあらすじだ。
この物語の中で私は、主人公が実物の乗合春に会った感動を表す言葉として、こういう一文を小説の中に用いている。
おや?
引っかかった方が多数いらっしゃることだろう。
そうなんです。ここだけ見たら、これは誤用。
間違った表現だ。
だが、こう書いたからには、作者なりの意図がある。
詳細は是非、実際の作品を読んでいただきたいのだが、オチを言わないと話を進められないので、思い切ってオチを言ってしまおう。
この主人公の男。実は新人運転手、乗合春の実父なのだ。
つまり、目に入れても痛くないという表現を、私は伏線のひとつとして用いたのである。
しかし、投稿してから私は考えた。
果たして、こういう伏線の張り方してもいいものだろうか……。
こうしてネット上にエッセイや小説などを投稿していると、誤用や誤字、内容に間違いがないかを気にするようにしている。
それでも、何度も推敲し、もう大丈夫と思って、投稿ボタンを押した翌日に「あっ!」という、うっかりがあるのだから、本当に恐ろしい。
それほどまでに誤用を恐れていながら、私は誤用ととられる表現を用いて伏線を張った。リスクの高い書き方をしてしまったとも言える。
これが信用のある本業の作家ならまだしも、出版経験のないアマチュアの私が、序盤で誤用を思わせる伏線を張ってしまうと、
あ、これ、誤用だな。
と思われ、
こんな簡単な間違いをするなんて、こいつ大した事ないな。
と読者を興ざめさせてしまい、その先を読んでもらえない可能性がある。
長編小説だったら、こういった書き方はしなかったと思うのだが、短編読み切りのサイズだからこそ、思いつくままに書いてしまった。
最後まで読んで、
「ああ、あれは伏線だったのね」
と許していただける読者の方もいれば、
「誤用と思わせてまで、こんな伏線張る必要があるのか」
と疑問に思われる方もいらっしゃるだろう。
でも、一番怖いのは、
これは誤用だ!
と見切りをつけられて、最後まで読んでもらえない上に、簡単な間違いを犯す書き手だという悪印象を与えてしまうことだ。
でも、それを恐れすぎて、こういう書き方をしてみようと思ったことに挑戦できず、手が縮こまるのも怖い。
ありがちで拙いアイデアだったとしても、思いついたのだからやってみたい、書いてみたい、と思ってしまうのは、書き手の性のようなものだ。
私はその欲求に従い、今回「えいっ!」という気持ちでやってみたのだが、それが正解だったのかどうかは、恥ずかしながら今も明確な答えが出せていない。
作品の中身に間違いがないか、ということに重点を置きすぎると、一行も書けなくなりそうな気がする。
思い込みで間違っているところがあったらどうしよう……。
などと考え込むと、書き終えたとしても、投稿ボタンを押せなくなる。
投稿ボタンを押すには、思い切りも必要だ。私は今回思い切ってみたが、それが正解だったのかどうかと考え始めると不安になる。恥ずかしながら、体は大きいくせに、私はノミの心臓なのである。
きちんとした答えに行きついたら、下書きに戻したり、作品に手を入れたりするかもしれない。でも今は、答えが出ていないのでそのままにしている。もしかしたら、そのままにしているということが、現時点での答えなのかもしれない。
ぽつぽつ物を書き、投稿した後でもなお、こういうことをいちいち立ち止まって考えるのは、とても大事なことだと思う。
考えた結果、やっぱりあれはよくなかったな、と後から気づいたとしても、思い切って書いてみたことを後悔せず、過去の自分に何が足りなかったのか、そのときにもう一度考えてみたい。
今はそんなふうに思っている。
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